葵桂と神山に坐す御祭神
下鴨神社、上賀茂神社の御神紋は葵。
この葵も、実はニニキネ様とトヨタマヒメ様のエピソードの中に出てきます。
今回はちょっと訳をつけながら、お二方の会話を紹介しようと思います!
ちょっと長めなので、まったり読んでください。
ウガヤ様出産後、夫であるウツキネ様に産屋を覗かれ、ワケツチヤマ(神山)のミツハミヤに籠ってしまわれたトヨタマヒメ様。
何度使者が来ようとも出てきません。
「宮に上ることはできませんので、妹のオトタマヒメを代わりに君(ウツキネ様)に捧げてください」との事。
この時は、ニニキネ様からウツキネ様に皇位が継承されるタイミングでした。
キミとは本来「木・実」の男女を指すため、ウツキネ様御即位の折に正后がいない状態では、日嗣の儀が執り行えなかったのでしょう。
ウツキネ様はオトタマヒメ様を后として召されることになりました。
御隠居されたニニキネ様は、葵と桂の葉を御袖にかけて、ミツハミヤを訪ねられます。
そして、トヨタマヒメ様とこのような会話をされました。
この、葵(双葉葵)と桂というのは両方とも、葉の形がハート型で、対になるように二枚ずつ葉が出ます。
また、桂は天に向かってそびえ、葵は地に這うように伸びます。
ニニキネ様はこの二つを、天地、陽陰、男女の「和合」の象徴としてトヨタマヒメ様にお見せしたのではないかと思います。
この「海で泳いだ」というのは、トヨタマヒメ様がウガヤ様をご懐妊中に、船が岩場にぶつかって海に投げ出されてしまった時のこと。
溺れそうになった姫様は、我が子守らんと猛き心を持ち、タツ(竜)やミヅチ(蛟)の力を得て浜まで泳ぎきり生きながらえました。
嘆くトヨタマヒメ様に、ニニキネ様は、「それは恥ではない」と仰り、こう続けます。
これはおそらく「ミソロのタツ(三揃の竜)」の事ですね!!
この三つの“生き”を得た究極のタツのことでしょう。
タツにも君があるのですね!!
トヨタマヒメ様の勇猛なお心を称えるニニキネ様のお優しさが滲み出るお言葉ですね。
また、キミとしてウツキネ様と共にメヲ(女男)の和合の道を歩んでほしいお氣持ちが伝わってきます。
この後、ウツキネ様とトヨタマヒメ様が歌を詠み合うことで想いが通じ、(ここで姫様が葵と桂をしのばせて文を送るのが素敵なんですよね〜!!!)姫様が戻られることとなりました。
ウツキネ様や臣たちも「アヰミヤイリ(陽陰宮入り)」と喜ばれ、小葵(こあおい)の御衣を織らせたと言います。
また、神上がりされたトヨタマヒメ様は、ミツハミヤに祀られました。
アヰソロやアヰミヤイリの「アヰ」は「アワ(陽陰)」 と 「アイ(和合)」 の意味が二重に込められていると思われ、「アヰソロの神」は「陽陰を揃えた(和合の心を悟った)神」という事でしょう。
また、トヨタマヒメ様が祀られて後、
とあるのは、ミツハミヤに祀られている神を、田水を守り船を生む「キフネノカミ」と呼んだという事でしょうか。
そこから「貴船神社」になったのだろうと思われます。
貴船神社の御祭神は高龗神(タカオカミノカミ)。
この真ん中の「龗」という字。難しい漢字ですね。
「霊」の旧字体などにも見られますが、真ん中に口が三つ並んでいます。この部分は雨粒の形を表しているそうです。
雨粒っていうのは、海から山へ、山から里へ、里から海へ巡っていくものだよな〜って事を考えると、「龗」は「ミソロのタツ」を表してるんじゃないか?!と感じました。(妄想)
つまり高龗神とは、「ミソロのタツの霊力を得た、高い(貴い)心を持つ神」=トヨタマヒメ様の意味でしょう!!と、自分の中では納得してます。
そして、京都三大祭のひとつ、葵祭。
葵の葉と桂の枝葉を絡ませて作られる葵桂(あおいかつら)が、参加者をはじめ、御簾、御所車、牛馬など至る所に飾られます。
京都御所から下鴨神社・上賀茂神社への都大路を、総勢500名を超える平安貴族の姿の行列がねり歩きます。
葵祭は、欽明天皇の時代に大凶作と疫病が流行し、それが賀茂の神の祟りであるとされ、祭礼を行ったのが始まりなのだそうです。
行列は、神山(こうやま)に坐す御祭神の荒御魂をお迎えするためなのだとか。
つまり葵桂をつけて、ニニキネ様をお迎えされる祭という訳ですね!!
なんと素敵な!!!エモすぎる!!!!
知れば知るほど、縄文と現代が密接に繋がっている事が分かって嬉しくなります。
ニニキネ様もトヨタマヒメ様もウツキネ様もラブです♡
今日もおやっとさあです。
また次回。