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【フットボール紀行文】Prologue

紀行文:
旅行中の出来事・見聞・感想などを記したもの。


競技生活の終了は僕たちサッカー選手に唯一約束されている事柄で、
いつかは向き合わなければいけないライフイベントです。

僕はこの事実がどうしても悲しくて。
いつまでもサッカーをしたいし何歳になってもサッカー上手くなりたい。

でも同時に、終わりがあるからこそ意味があるというのも、心のどこかでは思っていて、しかしそれが言葉にならないでここまで来ました。


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限りある競技生活は旅のようだと、思い始めました。


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旅とはなにかと聞かれれば人それぞれあるでしょうが
僕にとっての旅は帰る場所があるから旅なんだと思っています。

遊牧民族はある種、生きていくために旅をします。
帰る場所はなく、行く先々が日常です。
僕は彼らの生活を想像できません。
だからいつか遊牧民と暮らしを共にしてみたい。
でもそれすら非日常体験になってしまい、本当の意味で彼らの生活を感じることは出来ないのだろうと思います。

日常があるから、旅は非日常として価値を持ちます。
帰るべき日常がないと、旅は価値ある営みにはならないし、
そもそも旅とは呼べないのかもしれません。


旅が豊かな営みであるのは、
旅で触れたもの感じたことを日常に持って帰れるからだと思います。

「あ~旅行行きたい~」と1年中言ってい友達は誰にでも一定数いるのではないかと思いますが、日常がつまんないから非日常に逃げるというのは本当の旅ではない、そう思います。
旅の経験の豊かさはぶつ切りで日常に持ち帰られていない。
恥と共にかき捨ててしまっているのかもしれません。


価値観がアップデートされることでも、ライフワークを見つけることでもいい。
最悪方言のひとつでも覚えて帰ってくればいいのです。
旅で触れた非日常を日常に持ち帰り大切に大切に育てていくことで、
旅はより素晴らしくなります。


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競技生活は旅のようだと言いました。
サッカーがなくても生きていける世界に生まれて、
4年間だけその日常で生きました。
この国に生まれた以上、それが日常です。

4歳になってサッカーを始めて、20年近く。
長いこと旅をしています。
しかし大人になればなるほど、サッカーをしない選択肢が出てくるし、
サッカーを辞める瞬間を意識し始めます。
旅の終わりが見えてきているのです。

サッカーという旅を終えたあと、
長く続く日常に、僕は何を持って帰れるのだろうか。


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僕はやはり、この旅で触れたもの感じたことを全て大切にしたい。
いくら荷物がかさばろうとひとつ残らず大事に持ち帰りたいのです。

だからこうして、文章を書いているのだろうと思います。

ピッチの中は慌ただしいので
何も考えないでいたら感じたことは簡単に風化します。
文章を書いたり、SNSを使うのは一つの抵抗かもしれません。
サッカー界にある、とりあえずやれの空気に対する抵抗。
僕は意味を感じたいし目的を持ちたい。

サッカーから学んだことやあるいはサッカーそのものを
社会のために活かすこと、
サッカーで世界を良くすること。
考え始めたらきりがありません。それらをひとつもこぼしたくない。

だからこれから、より一層、感じたことを書こうと思っています。


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紀行文:
旅行中の出来事・見聞・感想などを記したもの。

サッカー人生という旅はもうそう長くはありません。
もっともっと大切に書き記していこうと思います。





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サッカーをしていて感じたことを私生活に生かす サッカーから生き方学ぶ サッカーで人生を豊かにする その過程を記録する

サッカー人生で触れたもの感じたことを持ち帰るための記録

サポートいただいたお金の使い道 4:love futbol japan への支援金 4:片親家庭支援団体への寄付 2:自分のサッカー人生への投資 最後まで読んでいただきありがとうございます。 よろしくお願いいたします。