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和の佇まいのワイン

日本国内のワイナリー数は現在、約500。この10年でざっと2倍に増えました。今後もしばらくは増え続ける見通しです。新しくワイン造りを始める人の中には、世界的に人気が高まっているナチュラルワインに挑戦する人も少なくありません。瀬戸内海に面した香川県高松市でブドウ園「カマノヴィンヤード」を営む釜野清登さんもその一人です。

釜野さんとの出会いは数年前。あるワイナリーが主催した愛好家と一緒にワインを造るという企画に参加していた時のことでした。サラリーマンをやりながら地元でワインを造っているという自己紹介がとても印象的でした。

その後、釜野さんが知り合いを集めて自分の造ったワインをお披露目する会を東京で開くというので、私も参加しました。

正直、最初はどんな味がするのだろうとおっかなびっくりでしたが、一口飲んだ瞬間、思わず唸り声を上げました。多くのナチュラルワインの特徴である、ジューシーな口当たり、スーッと流れ込むような喉越し、五臓六腑に染み渡るような感触。それらをすべて兼ね備えていました。そして、ハマる人はハマるツンとした揮発酸の強めの香りが、鼻腔を心地よく刺激しました。

ワインを造り始めたばかりで、しかもサラリーマンをやりながらの人が、これほどのワインを造れるのかと驚いた記憶があります。

香川県高松市のカマノヴィンヤード

その釜野さんを2024年7月末、高松市に訪ねました。年季の入った軽トラックでホテルまで迎えに来てくれた釜野さんと一緒に、市内の3か所に散らばるブドウ畑を見て回りました。

最初に訪れた一番古い畑は市街地から10分ほどのところにありました。広さ約0.4ヘクタール。周りには多くの民家や水田が見えます。この畑も以前は水田でした。持ち主が高齢など様々な理由で耕作しなくなったいわゆる耕作放棄地。釜野さんが借り受けて2018年にブドウの苗を植えました。

品種は主にマスカット・ベーリーAとデラウェアで、ヤマソーヴィニヨンが少々。長靴に履き替えて一緒に畑の中に入ると、青々と生い茂った葉の間から、すでに青紫に色づいたマスカット・ベーリーAの実が顔をのぞかせていました。釜野さんは、「(糖度は)まだ10度ぐらいかな。25度ぐらいまで上がらないと(おいしいワインにはならない)」と、房から一粒もぎ取って口にしながら言いました。

ブドウの成熟度を確かめる釜野さん

2023年に植樹した一番新しい0.3ヘクタールほどの畑は小高い丘の上にありました。隣はオリーブ畑。ここに植樹したのはなんと、冷涼な気候でないとよく育たないと言われるピノ・ノワールでした。温暖な気候の高松でどんなワインができるのか、数年後が楽しみです。

カマノヴィンヤードの3つの畑に共通しているのは、ブドウの木と木の間に草がびっしりと生えていること。近年、注目されている草生栽培です。草生栽培にはメリット、デメリット両方ありますが、釜野さんは初めから草生栽培をやろうとしていたわけではありませんでした。

ブドウの栽培を初めてすぐに会社から東京への転勤を命じられました。畑の手入れが思うようにできなくなり、たまに帰ると草が伸び放題。でも、それでも秋にはちゃんとブドウができました。「なんだ、草が生えていてもブドウはできるじゃないか」。そう思ったそうです。

一昨年、ピノ・ノワールを植えた畑

草生栽培のメリットにも気づきました。「草に畑の湿度の調整機能があることが、だんだんわかってきました。湿気が高いと草が湿気を吸収して病気が発生するリスクをある程度抑えてくれ、逆に乾燥気味だと草が水分を放出してブドウの木に潤いを与えてくれるのです」。

草生栽培のメリット、デメリットに関しては、私も本で学んだり、日本や外国のいろいろな生産者の話を聞いたりしてある程度知っていましたが、湿度の調整機能があるとは知りませんでした。

もう一つ、カマノヴィンヤードの畑を見て気づいたことは、これまで私が見てきたブドウ畑に比べて、実の付き方が不揃いなことです。正直、インスタ映えはあまりしません。

ナチュラルワインは基本、ブドウを有機農法で育てます。ですから、石油を原料とした強力な合成農薬は使用しません。その結果、どうしても害虫や病気にやられる確率が高くなります。それが実の付き方が不揃いな原因のようです。

「もちろん合成農薬を使えば収量は上がりますが、使いたくない。仕方ないですね」。

カマノヴィンヤードのワイン。毎年、違うラベル

しかし、収量が低いことは悪いことばかりではありません。1本の木になる実の数が少なくなる分、一粒あたりの糖やポリフェノール類の濃度が高くなります。ナチュラルワインが多くの愛好家からおいしいと言われる理由の一つは、そのあたりにもあるのかもしれません。

カマノヴィンヤードにはまだ醸造施設がありません。収穫したブドウは毎年、瀬戸内海の対岸の岡山県まで運び、委託醸造しています。委託先は岡山市のワイナリー「ラ・グランド・コリーヌ・ジャポン」。フランスの銘醸地ローヌで長年、ワイン造りをしてきた大岡弘武さんが経営するワイナリーです。大岡さんもまた、ナチュラルワインの造り手です。

釜野さんは今年(2025年)、念願だった自前のワイナリーを建設する計画です。本当はもっと早く建てる予定でブドウを圧搾するプレス機まで購入しましたが、建設場所が決まらず計画が遅れてしまいました。

もう一つ、今年が昨年までと違うのは、今年からブドウの栽培により集中できるようになったことです。実は、釜野さんは昨年、還暦を迎え長年勤めた会社を定年退職しました。これまでは二足の草鞋、今風に言えば二刀流でしたが、今年からはワイン造りに専念できます。

お昼は本場の讃岐うどん。コシの強さが売りの讃岐うどんですが、釜野さんによると昔の讃岐うどんのコシは全然強くなかったそう。高齢者は今も昔ながらの軟らかい讃岐うどんを好むそうです。

軽トラで移動する間、しばしナチュラルワイン談義に花が咲きました。ナチュラルワインはなぜ人気なのかとか、ナチュラルワインにはなぜアンチが多いのかとか、短い時間でしたが、ナチュラルワインの造り手の視点を直に学べたことはとても有意義でした。

釜野さんは「ナチュラルワインは現代のテクノロジーでよみがえったワイン」と表現します。

一般に、ナチュラルワインとはブドウを無農薬、無化学肥料で育て、醸造過程では酸化防止剤など余計な添加物を一切加えずに造ったワインです。

石油由来の合成農薬や手軽に利用できる市販の酸化防止剤、発酵に便利な培養酵母が普及し始めたのは、科学技術が急速に進歩した戦後の20世紀後半。つまり昔は、ワインと言えばナチュラルワインのことでした。

日本庭園に佇む「カマノヴィンヤード クサワミ 2023」

ところが戦後、合成農薬や酸化防止剤、培養酵母が手軽に手に入るようになると、水は低きに流れるがごとく、工業的に製造されたワインが急速に普及し始めます。とりわけ、添加するだけでワインの劣化を比較的簡単に予防できる酸化防止剤は、貿易自由化という時代の流れにも乗り、ワインの世界的な輸出入の増大に大きな役割を果たしました。

こうして科学技術の進歩による工業的ワインの台頭で市場の縁に追いやられた形となったナチュラルワインでしたが、今世紀に入り、その復活をもたらしたのもまた、科学技術の進歩でした。

特に釜野さんが指摘するのは、温度管理を中心とする輸送・保管技術の進化。それにより、以前は長期の船旅に耐えられずにもっぱら地元で消費されていたナチュラルワインが、品質を保ったまま地球上の至るところに運べるようになり、その結果、世界的なナチュラルワインブームに火が着いたのではないか。そう釜野さんは持論を述べました。

釜野さんの造るナチュラルワインはとても優しい感じのするワインです。食事に合うワインというよりも、食事に溶け込み、食事と一体化するワイン、そんな表現がよりぴったりかもしれません。なんとなく和の佇まいが感じられます。

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