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ワーママってきついなぁ、と思うけど、仕事も母であることもやめない

17時半前に仕事を切り上げ、家事より先に自分の息抜きの時間をとってしまう母。
それはわたしです(笑)

先週金曜日は自分の仕事の優先順位付けを怠ったことにより、イージーモードの一日のはずが、結局退社時刻は押しに押し、夫に急遽保育園のお迎えヘルプをお願いするという後味の悪い終わり方になってしまった。それに、先週1週間は、ずっと忙しく、本来切り上げたい時刻よりも遅くなる始末だったので、久々にこのゆとりある時間を平日に持てるということが嬉しい。



この間久々に会社の同期Aさんと会った。Aさんは同期だけど、正直仲のいい子というわけでもなく、なんならAさんの配属された部署は入社早々会社から切り離され、交流すらずっと途絶えていた。

十年ぶりの再会。

会おうとなったきっかけは、この間企画された同期会で「現在妊娠中!」というAさんのおめでたニュースを聞き、1歳児を育てるママとしては仲間を見つけた気持ちで嬉しく、話したいこともたくさんあったので、軽いノリで誘った。
2人で会うのは初めてで、でもその分お互いの10年、何があったかをかいつまんでだけど報告しあった。Aさんがいた部署は、わたしが働く今の会社から切り離された後、事業売却が続き、社長も10人も変わったらしい。それだけでも殺伐とした感が伝わったのだけど、加えてAさん個人がパワハラを受け休職していたことを知った。ようやく復職できる目処がついたにも関わらず、今度はそのタイミングでリストラ。

ハードだなあ、と思った。


Aさんだけでなく、周りにはいろんな背景から精神的に参ってしまい休職・退職した人が結構いる。自分が社会人になる時に想像していたよりも、身近には結構いるんだということを知って、自分も紙一重のところに生きてるんだなあ、と思う。メンタル強くないので。



心身の健康が一番だと思うし、それらを壊してまで働くなんて馬鹿げてる、わたしはそんな働き方したくない、そう思っている。
みんなが思うそんな当たり前のこととトレードオフに、我慢し続けて働くのもまたよくあることなのかもしれない。


「仕事と家事・育児のバランスに悩む」、というのはよく聞くワードで、なんなら自分がよく使っている。でもこの文字面だけ見ると、すごく重要なことが抜けている。「わたしの時間」だ。時間というか、「わたしがわたしであること」、わたしの存在にまつわる要素が抜けてしまっている。わたしがワーママであることの疲れがどこから来るかといえば、とどのつまり、自分の時間がなかなか取れないこと、だ。

“わたし“の価値観により、“わたし“にとっての大事なことの選択として、仕事があり、家庭・家族があり、友人がいて、能力開発があり、余暇の時間があり、そういういろんな要素がたくさんあるわけだが、なぜか日々忙殺される中で問題は「仕事vs家庭(プライベート)」に単純化されちゃって、だからわたしも『仕事を辞めたら、今の状況がもう少し楽になるのだろうか・・・』と夢想することがある。


わたしにとって、仕事vs家庭(プライベート)で考えたら、究極的に行き着くのは当然家庭だ。でも、わたしがわたしであるための一部は仕事から来てる面も多分にあるんだとも思う。それを具体的に言い換えると、他者への貢献、達成感や充実感とか何かそういうものなんだろう。

社会人として11年になり、大した専門性もなく働いてきたけど、働くことによって得られる“自分の一部“は、達成感、自分の成長、他者との繋がり、経済的な自立をすることだ。資格を要するような、その職種を志してきた人は、きっとその専門分野に従事することが彼らのアイデンティティの一部なのかもしれない。わたし自身は、今はこの4つしかあげられなかったけど、ここからさらに増えたり減ったりするんだと思う。


「仕事で得られる達成感が快感だから働く」
「経済的な自立が欲しいから働く」
「仕事を通じて自分をもっと成長させたいから働く」
「人とのつながりを得られるから、働くことは嫌いとは言えない」


何をするか、どう働くか、今後どうなっていたいか、そういうところで悩んでいる自分も一方でいるけど、もし『仕事と家庭の両立が・・・』と悩んだときは、そもそも『働くことが自分のアイデンティティの一つなんだから』とワンクッションおこう。
そして、何よりも疲れたら物理的に休む時間を取ろう!(これが一番大事(笑))

Aさんの話に戻るが、二人とも婚活時期は迷走してたこと、その一種の黒歴史を経て今があるということ、笑い合って話せたけど、お互いの苦労が表情には出てただろうなあ、と思う。20代、女の華の時期とも言われ、チヤホヤされ、享受できたものもたくさんあるが、それが故に身の丈にあった幸せを見失っていた私たち。
港区女子に混ざって、ハイスペの男性をねらってアプリでデートを重ね、たまにみるSNSにはリッツカールトンでのモーニング、、みたいな、派手な私生活を送っていたAさん。当時Aさんに対するイメージは、仲が良いも悪いもなかったおかげで、フラットに『派手なこと、バブリーなことが好きな子なのね』と見ていた。でも、そういうものが全部幻想で、本来の自分が好きなこととは違っていたんだよね、と認めて話すAさんは、前よりもずっとずっと可愛く見えたし、素敵だな、と思った。



人から見える自分、自分が思う自分の、いろんなGapに苦しみながらも、みんな必死で自分達の人生を歩んでいる。
わたしがわたしでいられるための時間、要素はなんなのか。時々思い出したいなと思います。


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