電話で本を語らう話~『宵山万華鏡』編・その②~
◆はじめに
前回に引き続き、6月11日(日)の夜に友人と行った電話読書会の話をしよう。この日の課題本は、森見登美彦さんの連作短編集『宵山万華鏡』であった。
前回の記事では、本書所収の6つの短編のうち、前半の3つ「宵山姉妹」「宵山金魚」「宵山劇場」について、あらすじと僕らが話し合った内容を書いてきた。今回は残る3つの話「宵山回廊」「宵山迷宮」「宵山万華鏡」について、同じ要領で書き綴っていこうと思う。
連作短編という性格上、前半3つの話が後半3つの話と結び付いてくるので、この記事から読み始めたという方には、前回の記事から読んでいただくことをオススメしたい。なお、がっつりネタバレしているので、「それは困る」という方には、前回の記事も今回の記事も読まず、ただ『宵山万華鏡』に目を通すことだけをオススメする。
◆4.宵山回廊
4つ目の作品「宵山回廊」は、千鶴という女性とその叔父が中心の話である。宵山当日の昼下がり、千鶴は画家である叔父を訪ね、六角堂の近くに向かっていた。ある理由から彼女の気は重かったが、道中出会った懇意の画廊主・柳さんの勧めもあり、足を運ぶことにした。
叔父は異様に老け込んでおり、また千鶴が来るのを見越したような言動を繰り返した。どうもおかしいと勘付く千鶴に、叔父は言った。
自分は同じ宵山の一日を繰り返している。
ある日、叔父の家を訪れた柳さんが万華鏡を持ってきた。以来万華鏡に興味を持った叔父は、宵山の出店で万華鏡を買った。それを使って街を覗いた時、彼は思いがけないものを見た。それは、15年前の宵山の夜に行方不明になった、娘・京子の姿だった。以来彼は、宵山から抜け出せなくなった。
唐突にそんな話を告げられ、さらに今生の別れまで切り出され、千鶴は混乱する。急いで実家へ電話をかけているうちに、叔父が姿をくらます。急いで街へ出た千鶴は、宵山の喧騒の中で、どこへともなく歩いていく叔父と、叔父の方へ向かって行く女の子を見かける。その女の子は、行方不明になった従妹・京子だった。狂乱するように2人を追おうとする千鶴。そこへ柳さんが現れ、「追ってはいけません」と彼女を諭す——
「宵山回廊」は、前2作「宵山金魚」「宵山劇場」とは打って変わって、背中がゾワゾワしてくる作品である。「最初の方の文章から、もう雰囲気が変わるんだなってわかる」と友人が言う。改めて見てみると、「宵山劇場」の書き出しが、くどくどしい、こじらせ大学生の内面が滲み出るような文章なのに対して、「宵山回廊」の書き出しは、無駄のないさらりとした文章になっている。その無駄のなさで、友人は「これはコメディじゃない」と勘付いたらしい。友人の観察眼も凄いし、2つの文章を書き分ける森見さんも凄いと、僕は思った。
僕らの話はそれから、作中にちりばめられている不穏な伏線を辿るように展開した。宵山の日に叔父を訪ねるのは気が引けるという千鶴の言葉。彼女が歩く地下道に、なぜか漂っている赤い風船。路地の奥にあり外の世界と隔絶された叔父の家。祭りの喧騒さえ届かないその異様な静けさ——挙げればキリがない。
その不穏さを一身に浴びたところで、僕らの話は次の作品へと移っていった。
◆5.宵山迷宮
5作目の「宵山迷宮」は、「宵山回廊」にも登場した画廊主・柳さんを主人公とする話である。
物語は宵山の日の朝から始まる。柳さんは、2人暮らししている母親と画廊へ行き、それから河野画伯——千鶴の叔父——を訪ねる。画廊に戻った柳さんを、一人の男が訪ねてくる。男は「杵塚商会の乙川」と名乗り、柳さんの父の遺品である水晶玉を渡して欲しいと言う。柳さんは「ない」と言い、乙川は帰っていく。その後宵山の街へ出た柳さんは、どこへともなく歩いていく河野画伯を見かける。
その日から、柳さんは宵山の1日を繰り返し始める。
毎朝起きると、テレビ番組が「今日は宵山」と告げる。当てもなく街を歩くこともあれば、画廊に籠ることもあるが、ともかくその日は宵山である。そして、夕刻になると必ず乙川が現れる。時には会釈だけで、時には回りくどい言い回しで、彼は柳さんに「例のものを」と迫る。その度に、柳さんは気分が悪くなった。
ある日、柳さんは自宅に籠る。そこへ河野画伯から電話がかかってきた。「君も繰り返しているんだろう?」と画伯は言う。さらにその理由は、柳さんの父と関係があるのではないかとも。柳さんは家を出て、1年前の宵山の日に父が倒れた鞍馬へ向かう。そこへ乙川が現れる。乙川と言葉を交わすうち、柳さんは一切を了解する。
明くる宵山の朝、柳さんは母親に、隠した水晶玉を返して欲しいと迫る。それから画伯のもとを訪ね、烏丸の地下道で千鶴と会った後、鞍馬で乙川に指示された場所へ向かう。彼はそこで乙川に水晶玉を渡す。乙川はそこで、水晶玉が万華鏡であること、世界の外側にある玉であることを明かす。
そして夜になり、街へ出た柳さんは、画伯を追って闇に向かおうとする千鶴を抱き止める——
「宵山迷宮」は僕にとって、本当に解釈に苦しんだ話だった。
来る日も来る日も繰り返される、ひとつとして同じでない宵山。「宵山回廊」との整合性を考えると、最後の1日が真の宵山だったように思えるが、それでは他の宵山は何だったのだろうか。
それ以上に分からないのは乙川である。柳さんがどう動き回ろうと、遥か鞍馬まで行こうと、乙川は必ず現れる。しかも、彼はいつでも柳さんとは初対面なのである。「柳さんですね」という確認から入るし、会うのは初めてだと明言することもある。果たして乙川は繰り返される宵山をどのように動き回っているのだろうか。
そもそも乙川といえば、前半の「宵山金魚」「宵山劇場」において、旧友の藤田君を騙すために奇妙奇天烈な仕掛けをプロデュースした人物である。そんな愉快な人物が、なにゆえこれほど不気味な振舞いをしているのか。僕は激しく混乱し、背筋を震わせ、一切の思考を停止してしまった。
一方の友人は、僕が「わからん、怖い」で終わらせた部分全てに、解釈を与えていた。友人は小さい頃からファンタジーに慣れ親しんでいるので、日常の理だけでは解釈し切れないような物事についても読み解くことができるのだ。
まず、それぞれに異なる宵山の関係について、友人は「それは並行世界だよ」とあっさり言った。「他の話でも共通して見ているのは、『迷宮』の最後の宵山だけど、他の宵山も全部存在していて、その全てに続きがある。ただ、それぞれ続きは書かれてないから、どんなものかはわかんないけどね」
わかるようなわからないような話だったが、ひとまず納得はできた。
「乙川は宵山を繰り返していたんだろうか」と僕は尋ねた。
「それはないと思う」と友人は言った。「乙川は他の日にもいるはずだし」
「でも学生たちの前に姿を見せたのは宵山当日だけだったよね」僕は「宵山劇場」を思い出しながら言った。「確かに丸尾とやり取りしているらしい描写はあったけど、あれは丸尾がやり取りしてる風に見せてるだけかも、みたいなことまで考えてた」
「うーん、それは違うと思うな」と友人は言った。
「まあ繰り返してない方が収まりはいいけど」僕はそう言ってから、
「じゃあ何で乙川は必ず柳さんの前に現れたんだろう」と問いを重ねた。
「それはあれじゃない、取引のある異界の者たちが教えてたんだよ」友人はまたしてもさらりと言った。「こっちの世界ではこうなるよって言って、柳さんが現れる場所に行けるように手を引いてたわけ」
「ぬあッ、そんなことが」と僕は言った。凡人には思いつけないズルい手である。だが、乙川の勤め先が妖怪らしきものと取引していることは文中に書いてある。だいたい、僕は他にどんな考えを用意しているわけでもない。
「そうかもしれないな」と僕は言った。ひとまず、僕を苦しめた謎には1つの解が出たわけである。読書会の良さは、こういうところにある。
◆6.宵山万華鏡
最後の話は、タイトルもズバリ「宵山万華鏡」である。この話の中心にいるのは、最初の話「宵山姉妹」に登場する姉妹である。「宵山姉妹」が妹の話であるのに対し、「宵山万華鏡」は姉の話だ。
妹とはぐれた後、姉は妹を捜し歩くが、途中で見かけた、中で金魚が泳いでいる不思議な風船に心を奪われてしまう。「妹もきっと喜ぶから」と、姉は自分に言い聞かせ、風船を配っていたという大坊主のもとへ行くが、風船は売り切れたという。なおも姉が食い下がると、大坊主は呆れながら、「ついてこい」と言う。
姉は大坊主に連れられ細い路地を進み、雑居ビルを上る。ビルの屋上で、2人は舞妓と合流する。舞妓と大坊主に連れられるままに、姉は雑居ビルの屋上から屋上へ渡っていった。時には橋を歩き、時には舟に乗って。そうして最後に着いた場所に、赤い浴衣を着た少女がいた。大坊主と舞妓は、彼女を「宵山様」と呼んだ。
宵山様は巨大な鯉を空に飛ばしてはしゃいでから、姉に万華鏡を覗いてみるよう勧めた。さっき先端に水晶玉が入り、直ったばかりのものだった。姉は喜んで万華鏡を覗いた。だが、宵山様が「宵山は終わらない」と語り、飲み物や食べ物を口にするよう勧めるのを聞いて、恐怖を抱く。宵山様は風船をあげると言うが、姉は宵山様のもとから駆けだす。大坊主と舞妓はそれを見て、姉を地上へ帰した。
地上に戻った姉は急いで妹を探した。そして見つけた時、妹は赤い浴衣の少女たちの手で、空へ連れて行かれるところだった。姉は妹にしがみつき、浴衣の少女をぶった。妹は地上に降り、少女たちは空へ上っていく。少女の顔は皆、宵山様と一緒だった。
姉妹はそれから取り留めもない話をしつつ、家路に着いた——
「宵山万華鏡」は、「宵山迷宮」で示唆されていた異界の者たちが登場する作品で、全作の中で最もファンタジー色の強い話である。同時に、それまでに散りばめられていた伏線が一挙に回収されていく話でもある。
「宵山姉妹」で妹はどこへ連れて行かれかけていたのか。「宵山迷宮」で乙川が回収した水晶玉は何だったのか。15年前、千鶴の従妹であり河野画伯の娘である京子の身に起きたことは何だったのか。それらが全て見えてくる。また、異界の者が大坊主や舞妓の格好をしていることは、「宵山金魚」「宵山劇場」で、小長井・山田川たちが作った仕掛けを彷彿とさせる。
最後の点について、僕は、人間の妄想が具現化したものと、異界の者たちの風貌などは偶然一致したのだとだけ考えていたが、友人は違う考えを持っていた。
「互いが互いに影響し合ってたんだと思う。山田川さんの想像力は、宵山様たちの世界から影響されていて、宵山様たちの世界も、学生たちが作ったものに影響された。それで同じような要素を持つものになったんだと思う」
友人はそう言い、続けて「ファンタジー脳としては、そうだと嬉しい」と言い添えた。僕にはよくわからないが、どうやらそういうものらしい。
6つの短編の中でどれが一番好きかと尋ねた時、友人は「宵山万華鏡」を挙げた。一連の話を聞いてきた僕は、「そうだろうな」と思った。もっとも友人は、「でもこの話は他の話があって成り立つものだから、単独で好きっていうのとは違うんだよね」とも言った。それもまた、わかるような気がした。
「あと、この話、終わりがめちゃくちゃ良い」という話もあった。先のあらすじでは、最後のところで「家路に着いた」と書いている。状況説明としては正しいが、原文はこうではない。本来の表現が何なのかは、是非とも本に譲りたい。更に言うと、是非とも最初の作品「宵山姉妹」のラストと比べながら、「宵山万華鏡」のラストを読んで欲しいと思う。
◆おわりに
6つの短編全てについて語り終えた時、日付はとうに変わっており、時刻は1時を回っていた。2人とも、夜が明けたら仕事である。それはよくわかっていたが、話を止めることはできなかった。
最後に、本全体についてのそれぞれの感想を見ておこう。
実を言うと、僕は今回「やってしまった!」と思いながら読書会に臨んでいた。「宵山回廊」「宵山迷宮」の不穏さにすっかり当たった僕は、「ハッピーエンド好きの友人はモヤっとしてるんじゃないか」と思っていた。
ところが予想に反して、友人は「良かった」と言っていた。曰く、「ファンタジーのジャンルとして、神隠しものは結構好き」らしい。僕はぽかんとし、しばし友人を見失った心地さえしたが、ともあれ、好きな系統の本に巡り会えたのなら、それに越したことはないと思った。
友人はこうも言った。「森見さんの作品色々読んできて、章ごとの話が関係を持ちながら最後につながっていくタイプの本にも幾つか出会ったけど、『宵山万華鏡』が一番、本全体としてのまとまりが良いと思う」
それは僕もわかる気がした。それぞれの話がただつながっているというだけでなく、最後の話で全体の伏線が回収され、話がまとまっていくという感覚があった。連作短編集としての完成度の高さは、『宵山万華鏡』が確かに一番かもしれなかった。
ちなみに、僕は6つの短編の中で「宵山劇場」が一番好きだった。友人は日常の延長線上にあるファンタジーをこよなく愛する人であるが、僕は腐れ大学生を溺愛する人なのである。今回の読書会は、僕らの好みの違いがよく表れた回でもあった。同時に、だからこそ、僕にとっては、自分が普段しない頭の使い方に触れられる刺激的な回でもあった。
さて、読書会本編が長時間に及んだように、振り返りの方も予想を遥かに超える長編になってしまった。これ以上長くならぬよう、そろそろ筆を置くとしよう。
(第172回 6月19日)
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