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読書ノート『聞く技術 聞いてもらう技術』(感想編)

 前回に引き続き、東畑開人さんの新書『聞く技術 聞いてもらう技術』の読書ノートを書いていきたいと思います。元々は全部を1回で書き切る予定だったのですが、本の内容を辿り直しているうちに話が長くなってしまったので、そこまでを「要約編」と名付け一旦アップしました。それが前回の記事になります。

 今回の記事では、前回書くことのできなかった、この本を読んで感じたこと・考えたことを中心に書いていこうと思います。それでは、早速始めましょう。

 『聞く技術 聞いてもらう技術』を読んで一番心に残っているのは、やはり〈聞いてもらうのが大事〉という話である。人の話がよく聞けない。ちゃんと聞けるようになりたい。そんな時、僕らはどうしても「聞く技術」を磨こうとする。しかし、この本で言われているのは、技術を身に付けようという話ではない。

 〈人の話が聞けなくなるのは、あなたに余裕がない時、誰にもわかってもらえない痛みや苦しみを抱えている時だ。だからまずは、あなたがその痛みや苦しみを誰かに聞いてもらうことから始めよう〉この本で繰り返し書かれているのは、そういうことである。

 とりわけ、前回引用した44ページの一節は印象深い。「聞く技術 小手先編」を一通り見せた後で、東畑さんは言う。人の話が聞けなくて本当に困るのは、技術を使う余裕のない時なのだと。だから僕らは小手先のその先へ向かわなければいけないのだと。そこで登場する「聞いてもらう」という解決策には、鮮烈なインパクトがあった。

 何を隠そう、僕がこの本を手に取ったのは、人の話をちゃんと聞けるようになりたいと思ったからだった。このnoteをはじめ、書くことや話すこと、つまりアウトプットすることについては、実践しながら色んなことを考えてきた。けれども、インプット、とりわけ聞くことについては、あまり考えた覚えがない。次のステップへ向かうために、今度は聞くことの方を考えてみよう。そのはじめの一冊に、この本を選んだのだった。

 そうやって話を聞けるようになりたいと急ぐ僕に、この本は言ったのだ。「まずは聞いてもらう、からはじめよう」と(46ページ)。さらに、最後の最後に、ダメ押しでこうも言ったのだ。

 本当はあなたこそが「聞いてもらう技術」を使っているのでしょう。
 この本を手に取っていることこそが、その証左です。あなたは「聞く」をめぐって、何か困難を感じていたから、この本を読もうと思ったはずです。
 だから、やっぱり聞いてもらう、からはじめよう。

(東畑開人『聞く技術 聞いてもらう技術』ちくま新書、2022年、238ページ)

 いまピンポイントで切り出すと、幾分圧しの強い印象を受ける一節だが、読んでいる時はそうは思わなかった。むしろ、僕の心を底から掬い上げてくれるような感じがして、「そうだ、その通りなんだ!」と強く頷いたものだった。

 そして、同時に考えた。

 僕は一体、何を聞いてもらっていないのだろう、と。

 何を声に出せていないのだろう、と。

 会社や読書会で世間話をしたり、noteを書いたり、日々色んなことを言葉にしてきたつもりだった。それでも、「聞く」ことについて思い考えるところがある。それはつまり、本来何らかの形で聞いてもらうべきことを聞いてもらえていないということではないだろうか。言葉に出すべきことを、言葉にできていないということではないだろうか。そう考えたのである。

     ◇

 ここで、本に書かれていた「聞いてもらう技術」の説明を思い出したい。それは「うまくしゃべる技術」とは全く別物だと、東畑さんはいう。「うまくしゃべる技術」は「あなたが売りたい商品の魅力、あなたのアイデアのおもしろさ、あるいはあなた自身の素敵さ」つまり「自分の強みを伝えるためのテクニック」である。しかし、話を聞いてもらう時に必要なのは、「強みではなく、弱みを、カッコいいところではなく、情けないところをわかってもらうための技術」である。「必要なのは賢い頭ではなく、戸惑う心」である(124ページ)。

 なるほどそうかと、僕は思った。僕が今まで言葉にしてきたのは、魅力的だと思ったもの、面白いと思ったもの、それらに対する感想や考察をまとめて洗練させたもの、つまり「強み」だった。もっと言えば、強みばかりだった。

 だが、僕の中には、「弱み」や「情けないところ」もたくさんある。何をするのも億劫がって、ベッドの上でいつまでもゴロゴロしている自分。何か面白いことが起きないものかとボヤくばかりで動かない自分。偉い人にはヘコヘコする癖に、そうでない人には虚勢を張る自分。俺はこんなに頑張ってるのに的な腹の立て方をしてしまう自分——そういう自分を表に出さないように、慎重にトピックを選びながら、強い言葉で自分を塗り固める。僕が今までやって来たのは、そういうことだったのではあるまいか。

 もちろん、弱みを余すところなくこの場で曝け出すのが正しいとは限らない。もっと限られた人の前でポツリポツリと言葉を絞り出すという方法もある。だがそれらも含めて、僕は今まで弱みをあまりに言葉にしなさ過ぎた。人に迷惑を掛けたくない。いい大人なんだからある程度のことは自分で解決しなきゃいけない。コイツ面倒だと思われたくない——なんて思いにガンジガラメにされて、情けない自分にフタをしてしまっていた。そんなことに気が付いた。

     ◇

 この本を読んで以来、僕は少しずつ、困りごとを人に聞いてもらおうとするようになった。

 本を読み終えて間もない頃、仕事があまりに忙しくて、急ぎの業務になかなか手を付けられないことがあった。今までの僕は、そんな時でも、「自分の担当業務なんだから、何とかしなくちゃ!」と一人で慌てていた。だが、この時は違った。「まずい状況だと言うことを、早めに聞いてもらおう」僕はすぐに上司に相談した。結果的に、その仕事の締切は1日伸びた。その変更は、本当に心強いものだった。僕は落ち着いて仕事に当たることができ、実際には2、3時間程度遅れるだけで仕上げることができた。

 実を言うと、この読書ノートを書こうと思ったのも、ある困り事の相談を人にしたのがきっかけだった。自分一人で抱え込まず、誰かに打ち明けられたこと自体が、僕の中では変化だった。簡単な話ではなかったので、「まったくもう」というような反応はされたけれど、伝えたかったことは全部聞き届けてもらえた。相談するってこういうことなんだなと、その時強く感じたものだった。

 『聞く技術 聞いてもらう技術』の帯には、「コミュニケーションが変わる、革新的な一冊」という宣伝文句が書かれている。この手の宣伝文句は大抵胡散臭いし、マシなものでもかなり誇張されているものだ。だが、この本に関しては、誇張ではなくその通りだと思う。少なくとも僕のコミュニケーションは、緩やかながら変わり始めた。

 そしてそれは、僕と人との関係を結び直すきっかけにもなるだろうと思う。本の中で東畑さんは、「聞いてもらう技術」のことを「日常の中で赤の他人を軽い友人に変える技術なのだ」と言い換えている(136ページ)。僕の場合、赤の他人と友人になるのは、まだ幾分ハードルが高い。けれど、既に知り合いになっている人と、それまでとは違う関係を結び直すことくらいは、起こり得るのではないかという気がする。

 もちろん、万人に同じ効果が訪れるとは限らない。ただ僕にとって、『聞く技術 聞いてもらう技術』は、実際的な効果を伴う本だった。その効果がこの先何を生み出すのか、それはわからない。けれども、きっとそれは良いものだろうと、僕は信じている。

     ◇

 以上、『聞く技術 聞いてもらう技術』の感想を書いてきました。実を言うと、ここに書いた感想は当初予定していた内容の半分くらいなのですが、あまり書き過ぎると言いたいことが散逸してしまいますし、何より、ここまで書けたことで満足してしまったので、今回はこのまま筆を置こうと思います。

 もし要約編・感想編を読んで興味を持ったという方がおられましたら、是非一度お手に取ってみてください。この記事では触れられなかった内容も含め、色んな発見があると思います。それでは。

(第128回 2月11日)

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