電話で本を語らう話~『のぼうの城』編~
9月最後の日曜日の晩、とある友人と電話で読書会をやった。この友人とは1ヶ月前にも電話で読書会をしている。その時は、森見登美彦さんの短編集『新釈・走れメロス』を課題本にした。今回の読書会も、同じく課題本形式だった。読んだのは、和田竜さんの小説『のぼうの城』である。
(※以下、作品の内容に関する記述が多数登場します。ネタバレ厳禁という方は、ここでこの記事をそっと閉じてくださいませ。)
『のぼうの城』は、豊臣秀吉が1590年に天下統一を目指し関東へ進軍した際に、武州忍城という現在の埼玉県行田市にあった城で起きた合戦を題材にした小説である。この時秀吉の本隊は、関東で最大の勢力を誇る北条氏の居城・小田原城に向かっており、忍城をはじめ北関東に点在した北条方の支城には、石田三成率いる2万の軍勢が進軍した。三成勢はまず上州館林城へ向かい、難なくここを落城させ、残る忍城へ向かった。
武州忍城を居城にしていたのは成田氏という一族だった。当主の成田氏長は北条からの命を受け、城の兵力の半分を小田原に向かわせ、自らもその中に加わった。しかし、氏長はその時点で既に、秀吉側に内通していた。当主が内通している以上、三成率いる軍勢が押し寄せた時点で、忍城は開城するはずであった。ところが、当主がいなくなった後、この地で残る5百の軍勢により合戦が起きた。それも、作者の和田竜さんをして忍城を「戦国合戦史上、特筆すべき足跡を残した城」と言わしめるほどの合戦が、である。
氏長が小田原へ向かった後、城代を務めたのは、氏長の従兄弟に当たる成田長親という人物であった。長親はとにかく大きな男で、のっそりとしていて、なおかつ不器用だった。武術が不得手なのはもちろんのこと、野良仕事を手伝っても足を引っ張る。大事な軍議を前に百姓仕事を見に出て戻らなくなったり、結論の出かかった軍議の場で話を引っくり返すような見当違いのことをしたりもする。そんな長親を、家臣や領民はデクノボウという意味を込めて「のぼう様」と呼んでいた。そして、当の長親は、面と向かってそう呼ばれても意にも解さないのであった。
そんなのんびりとした、馬鹿とさえ見られがちな城代の率いる城が、なぜ内通の決まった相手に戦を挑んだのか。そしてなぜ、数のうえで圧倒的に不利な中、戦国合戦史に残る戦ぶりを見せたのか——『のぼうの城』は、そんな不思議で興味深い歴史の一幕を、成田長親やその家臣・領民、そして石田三成と同行者たちの群像劇として描き出した、戦国エンターテインメント小説である。
『のぼうの城』を課題本に推薦したのは友人だった。ファンタジー好きの友人が歴史小説を推してくるのは意外なことだった。どうやら友人自ら買い求めたわけではなく、親戚一同で本を回し読みしている中で偶然この本を手に取ったようであった。
「それからずっと持ってるってことは、よっぽど良かったんだと思う。実際面白かった覚えあるし」友人はそう言った。
一人の人間が元々持っている嗜好の枠を飛び越え、手元に置いておきたいと思わせる小説とはどういうものなのだろう。僕はそこに興味を覚えた。それに、僕も歴史小説を読むことはあまりないので、こういう機会でもないとこの本を手に取ることはないだろうと思った。こうして僕は、友人の勧めに乗ることにしたのだった。
◇
というわけで、これからいよいよ読書会の振り返りに入っていくのであるが——実を言うと、今回の振り返りは書くことがあまりない。というのも、僕らの話は殆どある1点に尽きたからである。それも、「とにかく面白かった、わくわくした」という、レポートにして膨らませるにはあまりに難しい内容に尽きたからである。
実際、『のぼうの城』はとてもわくわくする小説だった。
三成方の使者を迎え、降伏・開城を告げようとしていた成田長親とその家臣たちが、一転して戦を告げる場面がある。ここを読んだ時、僕は最近ついぞ味わったことがないほどの高揚感が体じゅうを駆け巡るのを感じた。それは、自分が本に、何かに、これほど興奮できるだけの心をまだ持っていたのかと驚くほどの強い感情だった。いや、感情というよりも、体の奥深くに沈殿していた名も無きエネルギーが、一気に突き上がってきたようなものだった。
そのエネルギーが溢れ出すのを押さえるように、僕は慌てて本を閉じた。そのまま先を読みたいという気持ちもあった。しかし同時に、これだけ面白いものを興奮に流されるままに読み流したくはないという気持ちもあった。
その後いよいよ合戦が始まると、そこからはもう読む手が止まらなくなった。正確に言えば、文面から立ち現れる合戦の映像や武将たちの熱気が凄まじかったので、想像を止めないためにも、何度か小休止を挟みながら読んだのだけれど、心はページをめくりたいとずっと思っていた。
もちろん、そのわくわくを生み出した要素を列挙することはできる。ストーリー構成の巧みさだとか、文章の描写力やテンポ感の爽快さだとか、キャラクター設定の秀逸さだとか。実際、読書会の中では友人とそれらの要素を出し合って盛り上がりもした。
だが、それらの要素を幾ら言葉にして説明しても、あの時本を読みながら感じた高揚感に到達することはできないと思う。それらの言葉は、本を読んだ者同士が感想を分かち合い、自分の感想を追体験するためのものなのであって、この本を読んだことがあるのかどうかわからない人たちの前で、自分が経験したものを再現するには、あまりに淡泊で貧弱なのである。高揚感の源は、具体的な物語の中にある。そうとしか言いようがない。
だから、僕にできるのは、自分の興奮の経験を、できるだけ忠実に描写することだけである。それこそがこの本の感想と魅力を伝える最も誠実な方法であると、僕は信じたい。
それにしても、友人もまた「面白かった、わくわくした」以上のことを話さなかったのは、意外なことだった。一読者として大雑把な感想を拵えて満足している僕とは違い、友人は作り手の立場になって、作者が作品にちりばめた仕掛けを見つけ、読み解いていく人である。僕は当然今回も、僕には想像もつかなかったような話が飛び出してくるものだと思っていた。
ところが今回、友人からそのような話はなかった。
「読むの二度目だったし、多少は伏線とか気にしながら読んでたんだけど、もう途中からそういうのどうでも良くなった。面白いなあ、このまま読んじゃえって」
友人はそれから、「これだけ読者を乗せるんだもん、作者上手いなあ」ということをしきりに口にした。そして、結論めいたことを言うように、「作者に乗せられろ!」と言い切った。
◇
以上で、今回の読書会の振り返りはほぼ終わりである。ただ、折角なので1つだけ書き留めておきたい話がある。
ここまで書いてきた感想を一通り話し終えたところで、友人がポツリと言った。
「この本、大人になってからじゃなくて、中学生とか高校生の時に読みたかったなあ。そしたらもっと歴史が好きになってたかもしれないのに」
そうだなぁと僕も思った。実際、忍城の合戦や秀吉の関東平定について、歴史の授業で習うよりもずっと多くのことがスッと頭に入ってきていたし、今まであまり触れてこなかった歴史小説というジャンルにも興味が湧き始めていた。
友人はさらに言葉を続けた。
「歴史の教科書って正直面白くないじゃん。ただ事実を並べてるだけで、人の名前とか出てきてもどんな人かわからないし、それぞれの出来事がどんなものだったか全然イメージできない。でもこの本は違う。もちろんフィクションなんだけど、史料を示したり時代背景を説明したりしながら進めていくから、本当にこういう人がいて、こういう風にものを感じて行動したんだろうなって思えるから面白い。結局、何かに興味を持てるかって、それが具体的にどういうなのかをイメージできて、面白いと思えるかどうかだと思うんだよね」
その話を聞いた時、僕は少し前に、松江の小泉八雲記念館で見た展示の内容を思い出した。英語教師として日本の近代化教育の現場を見てきた小泉八雲=ラフカディオ・ハーンは、その教育が記憶力を偏重していることを批判していた。彼が重視したのは「想像力」であった。物事をただ覚えるだけではいけない。その物事がどういうものなのかを考え、そこから更に発想を膨らませることこそが大切である。ハーンはそのように考えていたのだろう。
ハーンが日本で教鞭をとったのは120~30年前のことである。だが、記憶力だけでなく想像力を養うべしというハーンの主張は、今の日本にも十分通用するものだと思う。歴史についてもそうだ。ただ事実をなぞるだけでなく、ある時代ある場所にどんな人がいて、何を考えていたのか。その人たちが繰り広げたドラマは、どんなものだったのだろうか。確かな事実を踏まえながら、想像を膨らませていく。それこそが「理解する」ということであり、「面白さ」を発見するもとになることではないだろうか。
僕がハーンの話をすると、友人も「想像力は確かに大事だと思う」と言っていた。
それにしても、『のぼうの城』にちりばめられた想像力は、まったく豊かなものだった。史料の少ない家臣団、そして史料などないであろう百姓に至るまで、説得的に描き出し、1つの物語にまとめていく。史実を無視することなく、史料の行間を埋めていく。そうして、何百年も前の時代を生き生きと描き出す。——これを書きながら、僕は改めて、途方もない小説を読んだのだと感じた。そして、友人もきっと、このことに思い至っているだろうなと思った。
(第87回 10月2日)