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いつもと違う読書会に行く


◆いつもと違う読書会へ

 1月25日、土曜日。

 朝9時過ぎの電車で大阪へ向かった。読書会に参加するためである。今回参加したのは、いつもの彩ふ読書会ではない。「こくちーず」というイベント告知サイトで見かけた、「大阪読書会」という集まりである。

 少し前から、「いま参加している読書会は好きだけど、他の会も覗いてみたいな」と思うようになった。読書会に来る人の中には色んな会を渡り歩いている人もいて、そういう人の話を聞くと、一口に読書会と言っても結構雰囲気や進め方が違うらしいのだ。そのことを実際に確かめてみたくなった。あと単純に、いつもと違う人と会ってみたくなったのである。

 読書会の会場は、大阪駅から地下道をずっと進んだ先にあるカフェであった。最初場所がわからなくて、店員さんに「読書会で来たんですが」と伝えると、通常の客席から少し離れたところにある少人数用のラウンジルームに案内された。暗い灯りに照らされた部屋で、背の低いテーブルが2つあり、それぞれを囲むようにレトロでフワッとした椅子が5、6脚置かれていた。

 部屋に入ると、真ん中に立っていた男性から「お好きな席に座ってください」と案内された。この時点で軽いカルチャーショックを受けた。今までずっと、最初に受付をして参加費を払ってから、案内されたグループへ向かうという流れに身を置いていたからだ。しばし戸惑った後、入口から一番近い席に座った。そして回って来た男性主催者に「ひじきです」と名乗った(ちなみに参加費は会の後半で支払った)。

 続いてA4のコピー用紙が1枚渡された。これは自己紹介用の紙で、名前(ニックネーム)やどこから来たのかなどを書くためのものだった。ちょっと困ったのは、設問の中に「自分を一言で表すと?」というものがあったことである。順当に考えたら「真面目」になりそうだったが、だらしないところも多い自分が本当に真面目なのか自信がなくなったので、少し考えた後、「エネルギーの使い方がわからない人」と書いた(ちなみに、他の参加者の書いたものは「マイペース」「大人しい」「不器用」「努力家」など、本当に一言のものが大半だった)。

 読書会は10時に始まった。まず主催者が会の進め方や注意事項などを説明し、その後各テーブルで本紹介を行うという流れだった。特徴的だったのは、途中で席替えが行われることである。これは「なるべく多くの参加者同士で交流してほしい」という主催者の意向によるもので、具体的には、会が半分ほど進んだところで、各テーブルのメンバーが半分入れ替わるという方法が採られた。そしてそれは、席替えを挟んで本紹介が2回行われることを意味していた。

 読書会の参加者は11人。時間は説明や自己紹介・席替えを含めて約90分。したがって、1回の本紹介に当てられる時間は5分少々であった。今までの経験と比較すると、かなり短めである。話の長い僕は、この時俄かに緊張した。

 もっとも、実際に紹介が始まってみると、あまり時間に急き立てられるという感覚はなかった。そこにあったのは、よく知る対面式の本紹介と同じ、好きなものについて言葉を探しながら伝える光景だった。僕は落ち着きを取り戻し、今までしてきたのと同じように、メモを取ったり質問や感想を伝えたりした。

◆紹介された本の紹介

 ではここで、紹介された本を並べてみよう。なお、僕が説明を聞くことのできなかった本は省略している。

▶1.『某』(川上弘美)

 大阪読書会の常連だという女性からの紹介本。芥川賞作家・川上弘美さんの小説です。物語は、自分の名前も性別も年齢も知らないという主人公の語りから始まります。主人公はある名前をあてがわれ、その人として生き始めますが、途中で別の人物に転生します。それも、前の人物の記憶を持ったまま、別の人物の人生を途中から生きるという形で。しかも転生は一度きりではなく、主人公は作中を通じ、年齢も性別も立場も異なる様々な人物として生きていくことになります。

 どうも不思議なお話です。紹介した方も「不思議な世界観」とおっしゃっていました。同時に僕は、年齢も性別も異なる様々な人の中に入り込めるんだから、作家ってやっぱり凄いなぁと感じていました。作者自身、自分以外の色んな人の人生を歩んでみたいと思っていたのでしょうか、それとも「想像力を働かせよう」と訴えかけていたのでしょうか——そんな問いが、頭を駆け巡りました。

▶2.『深い河』(遠藤周作)

 ワタクシ・ひじきの紹介本。遠藤周作の晩年の代表作で、様々な人生を背負った男女数名がインドツアーに参加し、ガンジス河の流れる街・ヴァラナシを訪れるというのが大まかな筋書きになります。

 読書会では紹介のポイントを2つに絞りました。1つは、ガンジス河の描き方が心に刺さったということ。聖なる河ガンジスは、訪れた全ての者をよそに黙々と流れるが、同時に数々の生と死を呑み込みながら存在している。僕はそこに、自分の人生をも全て受け止められるような深い安堵と感動を覚えたのです。

 もう1つは、登場人物の一人・美津子に共感したということ。美津子は何にも没頭したり心酔したりできない女性で、決して不遇の身ではありませんが心の奥に空虚を抱えています。自分が本当は何を望んでいるのかわからないと思いながら旅を続ける彼女の姿に、僕は自分自身を見る思いがしたのです。

 その後他の参加者との受け答えを通じて、美津子以外の登場人物や、作中描写の意味についても話すことができました。興味を持ってくださった方もいて、嬉しくなりました。

▶3.『薬指の標本』(小川洋子)

 初参加の女性からの紹介本。「標本室」という場所で働く薬指の欠損した女性と、同僚の男性との恋愛模様を描いた短編小説です。標本室と聞くと、植物や昆虫などの標本を作る場所を思い浮かべますが、この作品に出てくるのは「音楽を標本にして欲しい」といった不思議な依頼を受ける場所です。そこで働く者同士が接近し、男性が女性に靴を贈る、という風に物語は進んでいきます。

 紹介した方はSNSでの評判を見てこの本を手に取ったそうです。「とても不思議な世界観だったけれど、私たちの暮らしている世界にも簡単に理解できないものがあって、しかもそれが身近なところに溶け込んでるんじゃないかと感じました」という感想が印象的でした。

 僕を含め何人かの参加者は、恋愛小説において薬指が欠けているということがどういう意味を持つのかという点に強い関心を持っていましたが、残念ながら教えていただけませんでした。きっとネタバレできない部分なのでしょう。

▶4.『話し合いの作法』(中原淳)

 初参加の男性からの紹介本。タイトルの通り、ミーティングなどでの話し合いのやり方を紹介した一冊です。会社の中で小さなグループを回す年齢になったので、話し合いやコミュニケーションの方法についてちゃんと学びたいと思い、この本を手に取った——そんな動機説明から、本の紹介は始まりました。

 この本によると、話し合いは、対話のフェーズ・決断のフェーズの2つに分かれるといいます。①まず対話のフェーズで参加者間の意見の違いを明らかにし、②次に決断のフェーズにおいて、各意見のメリット・デメリットを比較し評決を採る。そんな流れになっているそうです。主な評決の方法についても紹介があり、「なるほど」と思いながら耳を傾けていました。

 紹介者からは他にも、「あなたはどう感じていますか」と尋ねることが大事、立場が上の人間がアイデアに評価を下さないよう注意する、といったことを本書からの学びとして挙げていました。実際、職場内のコミュニケーションにも良い影響があったようです。他の参加者からは「この本上司に読ませたい」という声が上がり、笑いが起きていました。

▶5.『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)

 これから本を読む習慣を取り戻したいと語っていた男性からの紹介本。研究室で知能を高める薬を投与された男性の経過報告という形式で、彼の数奇な運命を描いたベストセラー小説です。

 紹介した方は、「迷った末に一番好きな小説を持ってきた」と話していました。1回読んで3回泣いたというほど感情を揺さぶられたそうです。賢くなるにつれて自分がバカにされていたと気付いてしまうしんどさ、誰からも理解されなくなる寂しさ、そして自分の運命を悟ってしまう悲しさ——そんな様々な感情を覚えながらこの本と向き合ったのだということが、お話から伺えました。

 また、知能の変化を裏付ける訳文の巧みさも話題になりました。最初の経過報告はひらがな中心で誤字脱字も見受けられるが、徐々に漢字が増え語調も整っていく。僕も読んだことがあるからわかりますが、この表現は確かに印象に残りました。

 僕以外の参加者にもこの本を読んだことがあるという方は多く、それぞれの参加者が感想を寄せ合った結果、話し合いは大いに盛り上がりました。

▶6.『本を書く技術』(石井光太)

 ここからは席替え後のグループで紹介された本の話に移ります(最初のグループと同じメンバーの本は省略します)。まずは初参加の男性からの紹介本。数々の話題作を世に送るノンフィクションライター・石井光太さんの取材や執筆の方法をまとめた一冊です。

 紹介した方は元々ノンフィクションに良いイメージを持っていなかったそうですが(一部週刊誌のように、取材対象を執拗に追いかけ回し、ゴシップまみれの記事を出すという印象があったようです)、この本を読んで見方が変わったと話していました。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、この世界では驚くようなことが実際に起きていて、それを丹念に取材すれば目を見張るようなものが書けると分かったことが大きかったそうです。

 具体的な取材・執筆術の話は出ませんでしたが、一人の方のノンフィクションというジャンルに対するイメージをすっかり書き換えたというだけで、この本の凄さは存分に語られているように思いました。

▶7.『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(しんめいP)

 初参加の女性からの紹介本。タイトルの通り、東洋哲学のエッセンスをまとめた一冊です。

 紹介した方の話は、この本を手に取ったきっかけの部分がメインでした。最近何もやりたいことが見つからなくなったことがあり、その時に本屋で偶然この本を見かけて立ち読みしたそうです。そして、離婚を経験して実家に帰り引きこもっていた時期に東洋哲学と出会ったという著者のプロフィールに触れ、「落ち込みの先輩がここにいる!」と感じ、本を買うことにしたということでした。本の内容への造詣や興味からではなく、著者の人となりに惹かれて本を読む、そういう出会い方もあるんだなあと思いました。
 
本の内容についても、ブッダでさえ生き方に悩んでいたのだから、自分たちが悩むのも当然だと思ったといった紹介がありました。話の全体を通して、この本は悩んだり落ち込んだりしている時に読むといいらしいということが伝わってきました。

◆読書会ごとの違いと、共通点?

 11時半頃に読書会は終了し、カフェメニューで頼んだドリンク代を精算したところで解散となった。その後時間のある人たちで、近くのお店でランチをすることになった(これはいつもの流れのようである)。僕ももう少し話したい気分だったので参加した。ここでのやり取りも面白かったのだけれど、プライベートな話も結構出たので、詳しくは書かないことにする。

 読書会本編に戻って、全体の雰囲気などについて感じたことをまとめておこう。会の中で印象に残ったことが1つある。それは主催者の方から「短い時間でプレゼンする練習だと思って話してみてください」という声掛けがあったことである。これは、今まで参加した読書会では言われたことのない言葉だった。

 僕がこれまで経験してきた、そしてその経験からイメージする読書会というのは、参加者が好きなものについて語り合う純粋な趣味の集まりというものだった。話の技術や巧拙にはこだわらず、「好き」という気持ちを大切にするという印象が強かったのである。

 もちろん、大阪読書会の根幹にも、趣味の集まりを楽しもうという思いはあった。しかし同時に、本紹介を短時間のプレゼンとして捉えている面もあるように感じた。アウトプット術の訓練という要素を滲ませる、こういう読書会もあるんだなぁと思った。

 一方で、様々な違いを超えて読書会に共通する雰囲気というものがあるのではないかということも、この日強く感じたことの一つだった。

 その雰囲気を上手く言い表すのは難しいのだけれど、

  • 憎しみや敵ではなく「好きなもの」を介してつながることによる安心感

  • 話し合いという身体動作の少なさからくる落ち着き

  • 互いの話をちゃんと聞くという礼儀正しさ

  • その話に興味を持ってリアクションするという好奇心旺盛さ

 そういったものが合わさることで、〈読書会らしい雰囲気〉というものが生まれるのかもしれない。

 もちろん、参加者によって左右されるという側面はある。アツく語りたい人が現れたら落ち着きは影を潜めるし、自分の話がしたくて抑えがきかない人がいたら、ペース配分が乱れたり聞く雰囲気が整わなかったりする。

 これはいま改めて考えたことだけれど、読書会にやって来るのが本の話をしたい人だったら、本というものを通じて自分を語ろうとする人だったら、先に挙げたような読書会らしい雰囲気が生まれやすいのではないかという気がする。

 自分を前面に押し出すのではなく、本を主役にしながら自分を間接的に表現する。そうすることで生まれる人と人との独特の距離感が、読書会にはあるのかもしれない。そして、ちょっと距離を置きながら、見た目ではわからない人の心の奥の部分に触れたいと思う人たちが、読書会にハマっていくのかもしれない。

 いつもと違う読書会に参加して、そんなことを考えることができた。

 ランチの後はすぐ電車に乗り、14時半過ぎに家に帰った。前夜の寝つきが悪かったので、ベッドに横になり、本を読みながらうたた寝した。その後も夜まで、大したことはしていない。

(第273回 2025.01.26)

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