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神々の手持ちぶさた
かんかんと照りつける太陽が、地上を黄金に染める。蜃気楼の向こうで、黄色の三角形がゆらゆらと踊る。
文明の夜明け、エジプト。灼熱の砂漠には、大きなピラミッドが威風堂堂と並んでいる。
首からカメラを下げた観光客たちは皆、汗粒の光るひたいの上にサングラスをずらし、後ろに倒れんばかりに頭をもたげて、口をあんぐりと開けたままピラミッドの先端を見上げている。
そうかと思えば、評論家気どりの真面目くさった顔で、「人間がこんなに巨大なものを作ったとは、すごいな」「人間の能力とは、驚異的なものだ」と、腕組みをしながら感嘆しはじめる。
その観光客たちのようすを、砂漠の神は上空から目を細くして眺めていた。
人間とは、まことに愚かである。自らの目で見たことも、自らの耳で聞いたこともないくせをして、よくもまあ、目先の神秘をおのれの種族の手柄にしようとするものだ。
ピラミッドとは、われわれ砂漠の神々が創造した。いや、創造というよりは、砂遊びのようなものだ。手持ちぶさたの暇つぶしに、神々がそこらの砂をひと握りし、手の隙間からさらさらさらと地上に落としたものが山となった結果にすぎぬ。
古代文明の人々は、突然に現れた巨大な四角錐に慌てふためき、砂漠の神々からの贈り物として崇め奉った。そして、当時の小粋なエジプト王族のあいだでは、この神々の"芸術"を自らの死後の寝床とするのが大流行したのである。
しかし、現代の人々といったら、そんな逸話もつゆ知らず。ただただピラミッドを観光しては口をあんぐりと開け、ひとつ覚えに写真を撮りまくっている。
なに、われわれ砂漠の神々が、そんな人間たちに対して憤っているかって?まさか、そんなことはない。われわれの"偶然の芸術"にたかる大勢の滑稽な人間たちを、毎日楽しく眺めている。
ところで、風のうわさによれば、近頃は外国で新たな"偶然の芸術"が生まれたそうだ。なんでも、田畑の神々が手持ちぶさたに指でくるくると地面を撫でていたら、図らずもそれが幾何学模様になっていたという。人々は、こぞってその模様を「ミステリー」と呼んでは、騒ぎ立てているらしい。
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卓上ゲーム「Dixit(ディクシット)」の絵カードをランダムに1枚に引いて、短時間で作品をつくります。
世界中にはたくさんの不思議なものがありますね。それらは果たして、神からの贈り物か、宇宙人からのシグナルか、秘密の組織の仕業か、はたまた、ただの人間の悪ふざけか...
前回の作品はこちら。