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海を渡って 丹後からカムイミンタラへ② /地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#37

2024年9月に京都から北海道へ、ブロンプトンを連れて移住した時の記録です。
引越し準備と遊び過ぎで疲れ果て、猛暑と偏頭痛で京都での4年間を回顧する気力もないままに、山陰本線と京都丹後鉄道に揺られて西舞鶴にやって来ました。夕暮れの静かな港町をポタリングして、深夜に出港する小樽行きフェリーまで、さてどうしましょうか。

▼ 前編はこちらです。

▼ これまでのブロンプトンとローカル線の旅は、こちらにまとめています。

◆ 舞鶴の夜

本当は西舞鶴の路地裏探訪など楽しんで、気になる呑み屋など見つけたら立ち寄ってみたいところなれど、このあと新日本海フェリーのターミナルがある前島埠頭まで走らねばなりません。
埠頭は東舞鶴にあり、ここから一山越えねばなりません。調べたところ標高差は200メートル弱。とはいえ、真っ暗になってから未知の道を走るのは忌避したく、早々に西舞鶴を後にしました。

沿道にはロードサイドビジネスが軒を連ね、交通量も多く、適宜車歩道に逃げながら走っていきます。
緩やかな登りが数キロ続いたあと、壁のような登りがあり、さらにもうひと登りすると古いトンネルに出くわしました。車歩道がなく路側帯も狭い。しかも帰宅ピーク時で交通量が多いという、自転車では最もごめん被りたい類のトンネル。
幸い、入り口から出口が見える程度の長さだったので、腹を括って駆け抜けました。
その先は直線的で快適な下りが続きました。夜の帷が降りてからではジェットコースター的で危険を感じるでしょうが、幸いまだライトに頼らなくとも路面の状況が確認できるほどの薄明かりが残っています。

下り切って、東舞鶴駅南部の区画整理地を抜けていきます。西舞鶴側と異なり新しい家が多数目につきました。
道はやがて舞鶴共済病院に突き当たりました。脇に遊歩道があります。地図を見ると赤レンガ倉庫の方へ向かっているので、これを辿ることにしました。
このあたりで、町は夜の帷に包まれました。
やがて正面に赤煉瓦のトンネルが現れました。この遊歩道は、幅といい緩やかな曲がり具合といい、さらにはこのレトロなトンネルといい、廃線跡の雰囲気があります。後に調べると、この遊歩道は旧国鉄中舞鶴線の廃線跡で、このトンネルは北汲トンネルと名付けられていました。中舞鶴線は、港湾への兵員や軍需物資輸送を目的として大正期に建設された、東舞鶴と中舞鶴を結ぶ3.4Kmの短い路線。戦後、貨物輸送がトラックにシフトしていったことにより、1972年に廃止されたそう。

遊歩道が一般道に突き当たったところが赤レンガ倉庫群でした。しかし17時で営業終了とのことで、既に人気がありません。函館の金森倉庫のように、ビアレストランなどとして夜も楽しめるスポットにすればいいと思うのですが、舞鶴では採算面も労働力確保も難しいのでしょうか。

そのまま海沿いを走っていくと、知らぬ間にフェリーターミナルのあたりに来ていました。わたしが乗る「あかしあ」は未だ入港していません。駐車場もがらんとしています。「あかしあ」は21時15分に小樽から到着し、約2時間半の停泊ののち、再び小樽へ出港する予定です。時刻はまだ18時半。
一旦東舞鶴の市街地で時間をつぶしてから戻ってくるつもりですが、ちょっとターミナルビルをのぞいてみました。売店を兼ねた小さなレストランがあるばかりで、まだ閑散としていました。

出港まで5時間あまり。早めに乗船して大浴場で汗を流し、湯船に浸かって疲れを取りたいところなれど、もうしばらく、どこかで時間を潰さねばなりません。
無人の港湾地区を引き返します。
せっかくの舞鶴なのに、気楽に暖簾をくぐれそうな寿司屋でも見つけて地場の海鮮と地酒を味わおう、なんて気分でもありません。今朝からの偏頭痛や首筋の痛みは概ね治まったとはいえ、引越し、その前数日間の強行軍とはしゃぎすぎ、さらに連日の猛暑で、身体が疲れ切っているのです。第一、夕食後はまたフェリーターミナルまで自走しなければなりませんので、アルコールは必然的にお預け。

いずれにしても時間は有り余っているので、宵闇に包まれた東舞鶴の市街地を気の向くままにポタリングしました。昭和のころは週末のたびに周辺の町からの買い物客で賑わったのだろうな、と想像される立派な商店街が、縦横に伸びています。
人通りは極めて少ないものの、暖簾を掲げた店からは賑やかな声が聞こえてきます。明日から三連休。
さて、アルコール抜きで食事して、長時間粘れるといえば、ファミレスが最適。
しばらく走り回った後、スマホで調べてみると、東舞鶴駅の南にココスがあるそう。

汗まみれでくたびれ果てた体のおっさんでも、淡々と案内してくれるのがチェーン店の良いところかもしれません。
涼しい店内に腰を落ち着け、ようやく一息つくことができました。ハンバーグとドリンクバーを発注。本日失われた水分を補給しながら、溜まっているnoteの記事の更新などしていました。
振り返ると、ここ2週間ほどはずっとせわしなく動き続けていました。久しぶりで少し立ち止まり、身体の力を抜いている感覚です。

◆ 出港

21時過ぎにココスを出、再びフェリーターミナルへ。先ほどはがらんとしていた埠頭に「あかしあ」が停泊していました。白亜のマンションのような豪華クルーズ船とは違い、京阪神と北海道を結ぶ物流の大動脈である新日本海フェリーは質実剛健。とはいえ、学生時代に2回ほど新潟〜小樽航路に乗った頃に比べ、格段に快適性は向上しているようです。
多くのトラックが乗船を待っています。

ターミナル内にも、乗船客が三々五々集まってきていました。
大阪と神戸からは連絡バスが運行されているそう。到着はいずれも22時過ぎです。大阪発は20時30分、神戸発は20時ということで、仕事を終え梅田や三宮で一献の後でも間に合います。
ターミナルの2階へ上がり、腰を下ろして乗船を待ちます。
22時半近くなると、老若男女、大勢の人が清掃用具の入ったバケツを下げて、乗船口のある3階から降りてきました。小樽から到着した船内を、折り返しの航海のため掃除して整えていたのでしょう。「あかしあ」の入港から乗船開始まで、猶予は2時間半ほどでしょうか。まさに人海戦術です。

ようやく乗船が始まりました。
わたしが乗るのは、touristAという一番安いクラス。
それでも、昔あったような雑魚寝の桟敷席ではなく寝台で、カーテンでプライバシーを確保できます。ベッド脇の荷物置き場も、ブロンプトンを置けるだけの余裕がありました。

何はさておき、風呂入って、汗でぐずぐずの身体をさっぱり洗い、服を着替えたい。
大浴場は出港前から開いており、乗船後すぐに入ることができます。受付でバスタオルを300円で、航海中ずっと借りていられるのもありがたい。
さらに、ミストサウナがあるのが嬉しいところ。わたしのような高血圧のおっさんには、刺激の強いドライサウナより、穏やかなミストサウナの方が向いているそうです。
少し磯臭いミストサウナでまったりし、浴槽に浸かって目を閉じ、疲れた身体に熱い湯が染み渡るのを感じているうちに、出港のアナウンスが流れました。
急いで一旦風呂から上がり、今夜は休肝日と思っていたのですが、売店に大好きなSapporo Classic を置いてあるのを見たらもう我慢できなくて、冷えた缶を手に後部のオープンデッキへ。船は既に岸壁を離れ、舞鶴湾内を静かに航行していました。数人の乗客が手すりにもたれ、遠ざかる街の火を眺めていました。
5月に転職の意思を固めてから、いろいろなことがあったけど、ようやくここまで来たのだなあ。
そんな感慨と共に、Sapporo Classic が爽やかに喉を流れ落ちてゆきました。

◆ 線状降水帯を抜けて

翌日(2024年9月21日)早朝。
目覚めると揺れが大きくなっていました。
起き出して昇降口から外を見ると、海は灰色のもやに包まれて時化模様。大粒の雨が船体を打ち付けていました。

この時「あかしあ」は、能登半島に甚大な被害をもたらした秋雨前線の中にいたのです。
「あかしあ」の航路は能登半島のかなり沖合いを通過しており、また横揺れ防止装置などの恩恵もあってか船内をさほど苦もなく歩ける程度の揺れでした。故に、あのような大災害が発生しようとは夢にも思いませんでした。

今思えばそのような中、あまり能天気なことを書くのは憚られますが、まずは朝風呂。ミストサウナを2往復して、寝台へ戻って横になっていると、間もなくレストランの朝営業のアナウンスが流れました。

この船にはWiFiはなく、携帯の電波も当然通じません。こういう時は落ち着いて書物を紐解くのに好適なのですが、ブロンプトンでの旅立ち故、携帯できる荷物は限られています。北海道は既に朝晩の冷え込みが厳しくなっているとの報もあり、フロントバッグは秋物衣料でいっぱい。到着したらすぐに仕事で使うことになるMacBook Proやら仕事関連の書類やらで、バックパックも結構な重量。そんなわけで船中で読む書籍を携えてくる余裕はありませんでした。
上部デッキのカフェに陣取って、昨晩に引き続き、iPadに向かって書きかけのまま放置してあるnoteの記事をひたすら仕上げていきました。

やがて「あかしあ」は、小樽から舞鶴へ向かう姉妹船「はまなす」と、荒れる洋上ですれ違いました。

舞鶴から小樽まで、23時間。船旅はまだ道半ば。

◆◆◆

ここまでお読み頂いてありがとうございました。引き続き、新日本海フェリーでの北帰行、さらにカムイミンタラへの道について綴っていきます。よろしければ続きもご笑覧ください。

わたしは、2020年に32年勤めた会社を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。そしてこのたび京都から北海道へ、今度は本物の(?)地方移住をいたしました。
noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

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