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北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【14】4日目 稚内〜北見枝幸③ 2015年8月1日

「今夜は『ハマトン』に泊まるんですか?」という、ベニヤ原生花園の女性の何気ない一言に、35年前の冬の旅が甦りました。往時を懐かしみながら「ハマトン」こと浜頓別の街へ向かいます。
「週末北海道一周」4日目は、快晴の北国の空の下、素晴らしい夏の一日です。

ハマトンの思い出と現在

ハマトンの街に入りました。

がらんとした浜頓別の旧市街

高校一年生の3月のこと。私は、初めて北海道を一人旅しました。
函館から国鉄やバスを乗り継いで、襟裳岬、釧路、阿寒湖・摩周湖などを巡った後、まだ雪に埋もれているオホーツク沿岸を北上。
高校生がお年玉やらアルバイト代やらをかき集めての旅行ですから、国鉄の北海道ワイド周遊券を使い、宿は専らユースホステル。ですから一夜を過ごす街も、ユースホステルがあることが条件でした。
出発から確か1週間後、底冷えのする薄曇りの夕方に、国鉄興浜北線のディーゼル車から、ハマトンに降り立ちました。当時ここには居心地の良さが評判のユースホステルがありました。そこで3日ほど過ごし、クロスカントリースキーやスノーモービルを楽しんだ、思い出深い土地なのです。
ユースホステルの旅は、一人旅同士がすぐに仲良くなって、見知らぬ旅先での数日間を共に過ごす楽しみがありました。中でも、ハマトンのユースホステルはアットホームな雰囲気で、多くの人たち、その多くは年上の大学生でしたが、思い出に残る数日を過ごしたものです。その輪の中にはキュートな女子大生のお姉様などもいて、二人でスノーモービルに乗ったり、帰宅後も写真を交換したりした淡い記憶もあります。

当時のハマトンは、国鉄天北線から興浜北線が分岐する交通の要衝でした。今では鉄道のない町となり、これといった産業も観光資源もなく、人口も当時の3分の2ほどまで減少。
稚内、紋別といった都市からさらに100キロ近くも離れた僻遠の地とあっては、ここに根を張って働こうという若者も少ないことでしょう。
35年も昔の事とて、当時の記憶は何もないのだけれど、天北線の跡がサイクリングロードとして地図に記載されていたおかげで、浜頓別駅のあった場所はすぐわかりました。かつての駅周辺は再開発されて、立派な町役場や体育館が並んでいます。

かつての国鉄駅周辺

ここにかつて駅が存在した事を偲ばせるのは、バスターミナルと、シャッター街と化した駅前商店街と、古びたスーパーくらい。多分、昔、自分はこのスーパーで何か買い物したんだろうな、と思います。

かつての浜頓別駅前のスーパー

滞在したユースホステルがあった場所も最早記憶にありませんが、スノーモービルに乗った場所が、結氷したクッチャロ湖のあたりだった気がします。綺麗に整備された幅の広い道を、町外れの方へ向かいました。
緩やかな坂を下って行くと、青々とした水を湛えたクッチャロ湖が、真夏の強い日差しに煌めいていました。湖岸も美しい園地として整備されています。湖に面した芝生のオートキャンプ場もあって、快適そう。既に数張のテントが湖面に入り口を向けて並んでいます。こんな環境で、料理したり読書したりして何日か過ごすのも良いなあ、と思います。

別の道を通って、町内へ戻りました。人気がなく廃屋も目立ちます。町内にヒグマが出没するのも、つい頷いてしまうような寂れ方です。

今日は町内の神社の祭礼らしく、露店の並ぶ通りがあったので覗いてみました。店の数は少なく、まだ陽が高いこともあって人出も少なかったが、人影のない旧市街地で、そこだけに若干の彩りと華やかさがありました。

ハマトンの夏祭り

再び、30年の時を経てここを訪れる機会があったとしたら、どのような佇まいが広がっているのでしょうか。廃墟と化した町をヒグマが闊歩しているのか。それともアウトドア派や外国人旅行者に人気のネイチャーリゾートに変貌しているのでしょうか。

北見神威岬へ

最初、今回の旅程を考えた時は、浜頓別に一泊して往時を偲び、2日目はオホーツク地域の中心都市である紋別まで走って、今回のレグを終了するつもりでした。これなら走行距離は両日とも100キロ弱、天気やら腰痛やらの不安があっても、寄り道しながらのんびり走れます。

しかし問題は、紋別から札幌への足が、バスしかないことでした。長時間のライドの後、窮屈なバスの座席で5時間というのはつらいし、バスは輪行を断られるリスクも付きまといます。紋別空港と札幌を結ぶ航空路線があってもおかしくないと思うのですが、現在、紋別空港を発着する定期便は、全日空の羽田便一往復のみ。
しかも、紋別で中断したら、次回のライドでは、同じ手間をかけて紋別まで戻らねばならなりません。

紋別の先、最も近いJRの駅は、石北本線の遠軽。ここから札幌までは特急「オホーツク」で3時間半。次回のことも勘案して、ここまで走っておきたい。
ただし、遠軽は紋別のさらに50キロ先になる上、稿を改めますが、特急列車の発車時刻を考慮する必要があります。
そんなわけで、今日はもう少し距離を稼いでおきたく、さらに30キロ先の枝幸まで走ることにした次第です。

まずはボンドを購入して、靴底を修理してから出発。浜頓別の町をぐるぐる10キロほども走っていたため、町を出たあたりで本日の走行距離は100キロを超えました。
彼方に見えていた神威岬が眼前に迫ってきます。尖塔のような岩峰が二本そそり立ち、何やら冥界への門のようにも見えます。しかし、近づくにつれて、海岸沿いに若干、傾斜の緩やかな部分があるのがわかります。廃止になった国鉄興浜北線も、今では岬の基部をトンネルで貫いている国道も、高校時代に来た時は、ここを通って岬をぐるりと巡っていました。

間もなく神威岬

35年前のその旅行の時、最寄駅の斜内から、この岬の先端まで歩いてみました。海から風が吹き付けるためか意外と雪は少なく、また幸い穏やかな天候でもあったので、さしたる苦労もなく岬に着き、反対側の駅から折り返しの列車に乗った記憶があります。
今日も、岬基部のトンネルを抜けてショートカットするのではなく、当時を思い出しながら、旧道を辿りたいと思っていました。だが、これまでの行程では、道路改良後に旧道を完全封鎖している箇所も少なくなかったので、どうかなあ、と案じながら、障壁のような半島へ近づいていきました。

神威岬への道は健在でした。
そればかりではありません。草むらに埋もれてはいるものの、かつての興浜北線の路盤が、電柱も撤去されぬまま、それとわかる姿で残っています。
私は嬉しくなって、海沿いの道をのんびりペダルを踏みました。空は若干雲が多くなってきましたが、オホーツク海は青く静かに広がり、彼方には浜頓別の町外れにあった4基の風車が見えています。あのような巨大な構造物が、離れてみると可憐に肩を寄せ合っているように感じられ不思議ですが、これが自然と人工物のスケールの差なのだろう、などと考えながら、神威岬に到着。

神威岬への道から浜頓別方面を望む

白黒に塗られた小さな灯台と、岬の先端に広がる岩礁を目にして、蘇る当時の記憶にしばし身を任せました。

北見神威岬

北見枝幸の夕べ

神威岬から枝幸への道は、小さな起伏が連続し、疲れもあって実際の距離より長く感じられましたが、17時過ぎには町外れの高台にあるホテルに到着。
前回手塩で泊まった宿のように、ここも温泉施設にホテルが併設された作りで、駐車場は日帰り入浴客で混雑しています。

色々と懸念事項を抱えての出発でしたが、今日のところは天気は上々、腰痛もなく、パンクも発生せず。明日もこの天気は続きようで、期待が膨らみます。

水風呂でクールダウンし、ざっと汗を流してから、夕暮れの町内を走りに出かけました。枝幸は海の幸が豊富と聞いており、気軽に入れそうな寿司屋か割烹でも見つけようと思ったのです。
人口8千人の枝幸町は、稚内〜紋別間200キロの中間地点であり、この区間で最大の町だけあって、そこそこの規模のスーパーや、大手ドラッグストアや、カーディーラーの看板が目に入ってきます。閑散としただだっ広い道が続く風景は他の北海道の町と変わらないが、それでも一定規模の生活圏が形成され、その核になっている雰囲気が感じ取れます。

これは期待できそうだ、と嬉しくなって、良さそうな店を探して走り回ってみるが、意外なことに土曜日休業の店が多いのです。梅ヶ枝町なる、経験則から言って飲食店街に多い地名を見つけて散策してみますが、多くの店が暖簾を下ろしています。営業している店もあるにはあるが、一見客が気軽に敷居を跨げる雰囲気ではありません。「ぐるなび」などで検索を掛けて、ヒットした店に向かってみるが、やはり営業していません。
もしや、今日は夏祭りなどあって、町民は皆、港のあたりに出掛けてしまったのかな、などと思い、漁港へ向かってみましたが、そこもまた静まり返り、生命の気配といえばカモメと猫ばかりでありました。しかし、ここから眺める薄暮のオホーツク海は見事であり、私は空腹を忘れてしばし脚を止め、夕景に見入っていました。

枝幸夕景

結局、ホテルに戻って、併設の居酒屋で晩酌セットを注文しました。追加で注文したツブ貝が絶品でした。

つぶ貝の刺身

〈 走行記録〉
走行距離  130.3 Km
走行時間  5時間43分
平均時速  22.7Km/h. 最大 53.8Km/h
消費カロリー  2901Kcal

※ 4日目は終了。天気も腰も後輪も問題なく走り切りました。
 翌日もオホーツクを南下しますが、暑さでヤバい状況に…


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