見出し画像

倫政の授業を受けて思ったこと

*現実など知らない受験生が知識だけを元に机上で編んだだけの文章です


前書き

倫政の授業で日本の憲法から法律まで全般を触れたのだが、自衛隊って死ぬほど恵まれてない職業なんじゃないかと思っていた(つまり集中してなかった)。
始めに自分は自衛隊賛成派であり、解釈憲法は好まないし、憲法改正しない政府に不満はあるが政府に反抗する人間ではない。
ことの始まりは労働三権の話に触れていた時だった。労働三権には団結権、団体交渉権、団体行動権の3つがあり、目的は労働者の保護にあるのだが、それがどうやら国家公務員には適用されないらしい。国家のために働いてる人間の権利が一番制限されてるのは理論的には正しくとも、感覚的に非常に引っかかる。個人的に労働者が雇用者と対等な立場立つという状況には気持ち悪さを覚えるのだが、そんな自分からしても自衛隊の状態は酷すぎる様に思える。

自衛隊と雇用者の関係

自衛隊の使用者が誰かと考えると2通りあり、“日本“という国自体と国民らしいの
だが、机上の論理で話を組み立てるとこの使用者は共に自衛隊を否定する。

ⅰ )日本国という面から考える

前者については日本は立憲国家であるから憲法が正義かつ絶対であり、その憲法を素直に読めば自衛隊の存在は憲法違反か、不要な存在になる。9条が軍のみならず“その他の戦力”の所持も禁じている以上、戦闘をこなせる自衛隊は軍隊ではなくとも憲法違反の可能性がある。また、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を放棄するという文言に従うのなら自衛隊の出番はないはずである。今回のウクライナとロシアの武力衝突がウクライナ“紛争”と呼ばれていることを参照すると紛争に武力を用いないとする日本国憲法は攻め込まれても自衛隊が前線に出ることを許さない。すると国防の要はゲリラや民兵、警察が担うのだから自衛隊は無用の長物でしかない。憲法を素直に判断するなら、憲法は自衛隊の存在も、役割も否定しているのだから前者の使用者は自衛隊の全てを否定している。

ⅱ )国民の面からも考える

後者もそう。日本国憲法の特性は民定憲法であり、国民の意思が反映される憲法である。その憲法が自衛隊を否定するということはそれを定めた国民も自衛隊を否定していることに他ならない。憲法改正の発議をする政治家を選ぶのも国民なら、その後の国民投票で決定するのも国民。今まで憲法改正の発議すら行われなかった事実は国民の大半が自衛隊を認めない方針を選んだことを意味する。
自衛隊という組織は、自身を縛る存在からも、自身を使用する存在からも否定され、いつクビにされるかわからない中で両者を守るために命を捨てる組織なのだ。これでは古代ギリシアの奴隷と変わらない。国の法律によって国籍を否定され、仕える主人には人権を否定される、それでも奴隷は国と家を回すために働き続け、主人の腹ひとつで殺される。奴隷労働やの禁止や基本的人権の尊重、心身の自由を謳う憲法としてはこっちの方がアウトなのではなかろうか。

なぜ自衛隊は存在できているか

そんな憲法で禁止されている自衛隊が存在できるのは、政府が憲法の読み方を工夫して自衛隊の存在を否定しない根拠を見つけたと言っているからなのだが、自分のような凡人はどう読んでそう解釈しているか分からない。
特に前項で書いた「“国権の発動たる〜”の発動範囲」と、「“国際紛争の解決手段としては〜”はどこにかかるかのか」の2点の解釈方法が理解できない。

ⅰ )政府にとっての“国権”とは何を指すか

政府曰く、制裁戦争と自衛戦争は“国権の発動”に当たらないらしい。その行為は誰が主導するのか。この国の憲法において“国権”と“武力”はそれぞれ国会と内閣総理大臣という異なる権力が所有している。憲法本来の意味での「“国権”の発動を伴う戦争」は起こりようが無い。“国権”を所有する国会に自衛隊を動員する権限も宣戦布告を相手に通知する機能も無いからだ。しかしわざわざ言及した以上何か別の意味を持っているはず。なら武力を管轄する内閣総理大臣の方を意識しているのか。彼らなら戦争を行える。しかし今度は「“国権”は適用されない」という政府解釈の文言に違和感を覚える。行政権という国家の維持に必要な政治権力の3分の1を所有する組織の長で、国民主権の国で国民の代表者を勤める内閣総理大臣の命令が“国権”でないとする解釈は横暴では無かろうか。

ⅱ )日本語としての違和感

政府曰く「“国際紛の解決手段としては〜”は“国権の発動たる〜”には掛からず、武力による威嚇〜”のみに掛かっている」から自衛戦争と制裁戦争は認められているらしい。何をどう解釈したらこの文章中にそんな言葉が見出せるのか皆目見当もつかないが、「Aと、Bは、CのDとしては使用しない」という文章は日本語の文法的には「AはCとDとしては使用しない、BはCとDとしては使用しない」という文章を纏めたものになり、政府解釈のような「Aと、CのDとしてのBの使用はしない」という読み方は日本語らしく無い嫌悪感がある。そしてこの読み方をしてみても自衛戦争と制裁戦争が許されてる理由がさっぱりわからない。

ⅲ )自衛隊以前に憲法が憲法の3大原則に反してはいないか

正直憲法の解釈なんて考えてる暇があるなら万人受けするマニュフェストでも考えていて欲しい。万人受けする公約掲げて選挙で大勝して憲法改正の発議をすれば良いと思う。自衛隊の存在理由が解釈憲法にあるということは、自衛隊は憲法解釈で存在できなくもなるわけで、そんな難解な読み方をしなければ認められない存在は反対派が政権取ったら絶対消される。憲法は義務教育で一度覚えさせられるが、それ以上の興味を持たずに終わった子供は自衛隊がなぜ存在できているのか理解しているのだろうか。「政府が認めているから」は説明にならない。それ以前に専門用語を多用している訳でも無いのに注釈がないと国民が理解できない憲法は本当に国民が定めた民定憲法の資格を有しているのだろうか。格式張った文体を持つことは憲法が正式文書である以上必要なことではあると思うが、憲法が国の最高法規で、法律が権力者と国民の契約という社会契約説からきているとすれば、国民が選んだ権力者の作成であっても、それを国民が理解できなければ、それは国民の意思と無関係な欽定憲法と同じではないか。

自衛隊は適切な環境を与えられているのか

講師は自衛隊などの国家公務員は福利厚生や給料等の面で他の職業より恵まれていると言うが本当にそうだろうか。自衛隊等の特徴として(原則)終身雇用、(階級別かつ給料面かつ原則)年功序列、安定した給料、生活費軽減があげられそうだがこれらは本当に国家公務員の恩恵と呼んでいいものなのだろうか。

終身雇用

2020年のデータですまないが、2020年の総離職者数7200万人のうち、リストラによる離職者は41万人。総離職者数に占めるリストラ率は0.57%。この程度のリスクを回避できることが恩恵と呼べる大きな価値なのか。

年功序列

聞いたところによると勤続年数で上の位に行けるわけではなく、普通に試験などの成績も判断基準に含まれるらしい。長いこと勤めていれば同じ階級の若手と比べれば高い給料を貰えても、上の階級の若手に比べれば少ないこともあり得ると言うこと。普通の会社とあまり変わらない様に思える。

安定した給与

安定した給料がもらえるのは貨幣の価値が日々変動する現代社会では有り難いと言え、防衛省曰くその額は民間を基準にし、そこに各種手当を増額しているらしい。佐官クラスの年収がうちの父親の半分程度というのが命と拘束時間に見合うのかの議論は置いておいて、不況期でもいつも通りの生活を続けられるのは割と大きな恩恵と言えるかもしれない。

生活費の軽減

生活費の軽減も物価高の現在は役に立ちそうだ。と思ったが、これが使えるのは曹までで、幹部クラスになると普通にお金がかかるらしい。収入が多くない現場の実働隊は生活費を免除して可処分所得を増やし、民間程度の給料を貰ってる現場指揮官組は特に何か恩恵に預かれることはなさそうだ。

逆にデメリット

勤務時間が長い。定年が早い。業務上自由が少ない。私用の最中も公務が入ると招集がかかりそう。最近民間でもあまり使わないが労働三権が本当に一切無い。
日常業務がすでに辛そう。公務員というだけで叩かれそう。他の公務員と違って世間の目が厳しそう。      *調べたわけでは無いから後半ほぼ個人の感想

結論:自衛隊の待遇は世間のマイナスイメージと大差ない?

現役の自衛隊員の方々が国や家族を守りたいという使命感などを持って働いていることは承知の上で敢えてメリットだけを考えた。民間とあまり変わらないかそれより少し悪いような職場環境に、キツそう、とか絶対服従、とか再就職大変そう、とかそもそも市民からの敬意が無いとかいうマイナスな先行イメージが付随していればまぁ人手が足りなくなっているのも頷ける。

終わりに

あくまでも倫政の授業を受けて思ったことであり、触れるジャンルに制限をかけたことでスッキリしない文章になったがやはり自衛隊という存在と日本という国の関係、自衛隊に対する国民の認識は歪であると思う。


普通に生活費に溶けます