気分転換の大学受験生日記11
浪人生という状況に身を置いていると高校生の頃を思い出すことが多いのだが、
高校から存在する留年という制度はなんだったんだろうか。生徒の学力を一定に保つことが目的である、とか一定の学力水準を満たさないとどうせ大学受験も受からないからとかいうがなぜその必要があるのだろう。
仮に小学校や中学校に留年という制度があったとしてもそれに不満はあっても上記の説明で納得できる。義務教育だから生徒の学力を一定以上に保つ必要があるわけで、義務教育は「国が国民に教育を受けさせること」を定めたものだから自国の基準をクリアできない人間を留年させることで基準を満たせるレベルまでテコ入れしていると言われれば納得はできる。しかし高校は義務教育も終わって自由進学のはずなのになぜここにきて留年なのか。
正直留年回避のために受験に必要ない科目にまで勉強時間を取られるのは高3に入ってから割と苦痛であったし、留年は回避できるであろう点数を取っているはずなのに教師が留年を盾に課題の提出を急がせるのもストレスだった。高校の進級に必要な単位数とか出席数は誰が決めていたのだろうか。うちは私立だったがそれでも国が決めていたのだろうか。ここにきて文の先頭と全く同じことを繰り返すが高校からの留年には何の意味があったのか。
留年させれば卒業までにその年の分多く学校に金が入るからかと思ったが留年した生徒が普通に辞めていったところを見ると違うらしい。義務教育から外れて生徒が自主的な学習をしなくなるから留年というムチで勉強させるのかと思ったが大学受験が近い高校生の頃の方が留年制度のない中学生の頃よりよっぽど勉強していたことを考えると多分違う。というか義務教育でも勉強しないし。留年して辞めていく奴がいる以上高校以降の進学率を保ちたいという目的には逆効果だし、留年で脅さないと勉強しない奴は留年で脅してもどうせ落ちる。
そんな学生からすれば存在理由が見当もつかない留年制度に追われながら過ごした3年間を思い出すと色々あったなぁと感慨深いものがある。留年の価値って卒業後にこの留年しないように友達と必死になって無駄なことをした青春を思い出して馬鹿だったなぁと笑えることなのかもしれない。(絶対違う)
普通に生活費に溶けます