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HSP(繊細さん) VS 威圧的な母

HSP(繊細さん)は、感覚が鋭敏で傷つきやすい性質をもっています。けれども、幼い頃から理解のある両親のもとで安心感を味わいながら育つと、かえって非HSPの方よりも健康状態が良くなり、能力も開花しやすいという特徴があるのだそう。私の場合は、残念ながら繊細さに寄り添ってくれる環境で育ったとはいいがたく…。まあ、昭和の家庭は、どこも似たようなものかもしれませんね。

母からの強いプレッシャー

アダルトチルドレン(AC)、という言葉をご存じですか?

親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。大人になっても子供の状態から抜け出せない人、親から自立しない人を指すこともある。

「〇〇しなければならない」の根本にあるのは、母の価値観です。「周りの価値観に従う」は、突きつめて考えれば「母の価値観に従う」につながっていて、私はHSPの気質が強いと同時に、ACの性質もかなり持っています。

特別裕福ではないものの何不自由なく育てられたし、いい年だし、自分の人生がややこしいのを親のせいにするなんてみっともない。

長年そう思って自分の気持ちにフタをしてきましたが…うつを経験して、ついにこれまでため込んだ鬱憤が爆発してしまいました。私のうつは、遅い遅い反抗期(笑)でもあったのです。

私の家庭は、父と祖父&祖母の関係が悪く、一緒に暮らしていても会話がほとんどありませんでした。母は、私が生まれてすぐにフルタイムで働きに出たので、面倒をみてくれたのは祖母。祖母はいつもしかめ面で、気に入らないことがあるとゴニョゴニョ小さな声で(本人に聞こえるように)愚痴る人でした。息苦しさを感じることも多かったですね。

一方、幼い頃の母はとても遠い存在だったのを覚えています。すらっとスタイルが良く、顔立ちも美しい母は憧れの存在。甘えるなんてとてもできず、声をかけることすら私は常にためらっていました。

母は一見控えめで、けれども内面は燃えるような強い意志があり、『孤高の人』という表現がぴったりの人。母はよく、「強い人間には友達なんていらない、群れるのは弱い人がすることだ」と口にしていました。幼い頃の私は、運よく仲のいいお友達が見つかりソコソコ楽しく過ごせていたのですが、母のこの言葉をきくたびに、「私は弱いから友達がいないとやっていけないんだ」と気まずさを感じていました。

母は、私にとって、常に絶対的強者。

「小学校では100点をとるのが当たり前」

そう言われると、プレッシャーで胸の奥がズン、と重くなりましたが、だったら100点をとらなければ、と他の人よりも抜きんでることに闘志を燃やしました。「〇〇しなさい!」とはっきりと命令されたわけではありませんが、子供なら母が求めていることくらい分かります。私は無意識に、母が望む通りに生きようとしました。

自信の翼がポキっと折れた瞬間

小学校低学年の頃。懇談会で先生が「勉強がとても良くできてますよ」と(皆の前で)言ったことがきっかけで、私は周囲の人たちから「天才」ともてはやされるようになりました。(田舎の学校でしたから、少し成績が良いとこうなります)

当時の私は、自信満々。何度も学級委員長に選ばれ、今では考えられないほど、クラスでも目立つ存在でした。男の子にもはっきりとものを言っていたのを覚えています。

私は、なんでもできる。なんにでもなれる。

勉強ができる=将来が約束されたも同然、と考えていた幼い私は、母に対して「おおきくなったら弁護士になる」と口にしたことがあります。その時の、母の返事がこれでした。

「あんたには無理」

あまりにもショックだったので、30年以上たった今でもよく覚えています。なぜ無理だと思ったのか、理由は母も言いませんでしたし、私も聞けませんでした。

それでも、何かがポキリと折れました。急に、クラスのみんなが大きな存在に見えるようになり、自分がとるに足らないちっぽけな人間だと感じたのです。私は、人前でほとんど話せなくなり、あっという間に「おとなしい子」に変わりました。当時小学2年生。

確かに、私は敏感で気が弱いところがありましたから、母はその点を見て「無理」と言ったのでしょう。けれども、この言葉を思い出すたびに、親が何気なく放った一言がどれほど子供に大きな影響を与えるかを、思い知ります。

長くなってしまったので、続きはまた今度に。お付き合いいただいて、ありがとうございました。


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