大人と自分と。客観性。
私は音楽を主な趣味として取り組んでいて、中学生のころからライブをさせていただいています。
いつも、当たり前のように周りにはたくさん大人の方がいて、自分なりに大人の人とどう接していくのが自分にとって、相手にとっていい形なのかを中学生ながらに探りました。
その時に見つけた答えは、「相手を気遣う」ということでした。
敬語や丁寧語を使うのはもちろん、相手の話を全て勉強だと思って一人一人と正面から向き合うことを心掛けました。大人の人と話しているときは相手に好印象を持ってもらおう、自分を知ってもらおうと努力し、そうやって人脈をひろげていきました。
それが周りから見ると所謂「大人」に見える対応だと思っていました。実際に周りの人たちにも、同級生にも「大人っぽい」といわれることが多くなっていたからです。
言い方を変えると、そうやって「大人の人」の扱いを知ってしまった。ということです。相手がどういう対応をしたら喜んでくれる、相手の話を引き出すにはどういう話し方がいいなど、自分で学習していきました。
ー「世渡り上手。」
大人の人しかいない環境で生活することは、とても勉強になることがたくさんありました。でも、それとともに失うことも多くなりました。
ー「同級生との対応の仕方がわからなくなってしまった。」
同級生がとても子供っぽく見えてしまい、無邪気に笑ったり、遊んだり、出歩いたり、ふざけたり、買い物したり、いわゆる「青春」というものをあまりしらないまま高校生活が過ぎていきました。高校に入学して、新しい顔ぶれでの生活の中で気づかないうちに自分の中で大きな変化があったことに気づいていきました。
高校卒業を目前に思うことは「同じ人間なのになぜここまで大人というだけで相手に気を遣わなければならないのか?」ということです。本当なら、社会人になって、会社に入り、縦社会を目の当たりにするのが普通だと思います。でも私は中学生でそれを経験して、もう6年が経ちました。社会人で言ったらアラサーくらいでしょうか。。
これまでの話を聞いて、鼻高、自己中になっていると思う人もいるかもしれません。
この環境から脱するには、自分を変えるか環境を変えるしかないと思っています。でも、ありのままの自分を変えることまでして、環境に適応していく必要はないと思っています。なので、周りからどう思われようが、嫌われようが、ありのままの自分でいようと決意します。しました。
「人に嫌われて一人前。必ず一人あなたを見てくれている人がいる」
私はその人がいると信じて、日々新たな自分と過ごしていこうと思います。
長文失礼致しました。