幸せな1日だったね、ありがとう。
「なんか、死んでいいかな。」
と思い立った。
22歳最後の冬、12月30日の6.5畳のワンルーム。
私にはあまりにも広すぎるこの部屋の、隙間という隙間をゴミと洋服で埋めて、今まで何となく紡いできたこの時間を終わらせる時が来たのかもしれないと、確信めいた何かが降ってきた。
決して寂しさに感けたり、酷く落ち込む何かがある訳ではない。
ただただ、もう終わりだろうとそう思ったのだ。
ベッドの脇に転がる風邪薬は、先々週の私がドラッグストアで足元がおぼつかないまま買ったもので、もうすぐ飲み切って元気になる予定だったのに、というか飲み切るまえから優秀な製薬会社の陰謀によってかなり身体は回復していた。
時間は2時を回ろうとしていて、外を走るトラックの音もだいぶ少なくなってきた。
夜ふかしをしていた訳ではない。救急車のサイレンに呼ばれて、目が冴えてしまったのだ。
以前、考えた事があった。
もし死ぬなら、部屋を掃除して、秘密を全て削除して、両親に感謝の言葉を伝えて、お世話になった人達に頭を下げて、素敵な衣装を着て、1番生きている心地のする舞台の上でスポットライトに当たりながら最後を迎えたいと。出来る事なら、愛する人の腕の中で、安らかに眠るように逝きたい。
そんな理想とはかけ離れた今。洗濯物はハンガーにかけたままで、飲み切ったペットボトルも傍らにいくつか転がっていて、去年買ったヒートテックと膝が破れたジャージを着ている今。なんだかもう終わりにしていいと思ったのだった。
思えば今日は最高の日だった。
6時間のアルバイトを終えたあと、姉と池袋で待ち合わせをしてそこそこ美味しいラーメンを食べて、デパ地下のキラキラしたお菓子やお惣菜を一緒に見て周り、年末に実家に帰って猫たちに会うことを心待ちにして1人で暮らす家に帰った。
いつも観ているユーチューバーは、今日は素晴らしく面白いコント動画を出していたし、ある人の誕生日祝いのちょっとした品物も見て周れた。
完璧な1日だった。
貯金が増えたわけでも、名声を手に入れたわけでも無い。
それでも、本当に楽しかった1日だった。
生きるためには、未練が必要だ。
心から強く待ち望む何かに縋りついて生きてきた。
今年は沢山いい事があった。
事務所にも所属できて、舞台にも立たせて貰えて、少しばかりのお仕事も頂けた。
なんかもう、ここでいいのだ。
私はこれ以上無いと思うほどの脚本に出会えたし、これ以上無いほどの愛情をたくさん感じられたのだ。
不真面目で腐敗した生活に謝罪をしたくなるほど、素敵な人生だった。
23歳になる躊躇いもあるのかもしれないが、そんな事には目を背けて、幸せな気持ちでいっぱいだ。
このままでいいのだ。うしろ髪を引かれる事など一切合切無い。
グレーのシーツを緩く張ったベッドに腰掛けて、安らかな気持ちで、冴え切った頭で指を動かしている。
これ以上、不幸が私に訪れないように。これ以上、幸せが私を苛む前に。
電気ケトルの煮沸音を聞きながら、部屋のあかりを消して、大好きな音楽をかけた。
おやすみなさい。
2:15
2022\12\30
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