【随想】装う
どんなに みじめな氣持でゐるときでも
つつましい おしやれ心を失はないでゐよう
かなしい明け暮れを過してゐるときこそ
きよらかな おしやれ心に灯を點けよう
(雑誌「スタイルブック」より抜粋)
この文章は、日本の敗戦の翌年、1946年5月に創刊され、後の「暮しの手帖」(1948年9月第1号)となる雑誌「スタイルブック」巻頭の一節です。敗戦で国民の気持ちは下を向きがち、ものは不足している。そんな暮らしのなかでも、おしゃれする、装うことを忘れず前を向こうとする、強い意思が伝わります。装うことが、生きる力を生む原動力になり得ることを感じさせます。80年近くたったいまなお、色あせない。装うことの意味を考えさせられます。
「装う」という言葉からは、身なりや外観を整える、美しく飾ることーーが、まず思い浮かびます。
その「装う」には大雑把ですが2種類あるように思います。いつもなら手の届かない値段のお気に入りの服や装飾品を、ちょっと背伸びして買う。それを身に着けたり、生活空間を飾ったりして、特別感を演出して楽しむ「装う」。
もうひとつは、どちらかといえば変化の少ない日々の暮らしに添えるアクセントのような「装う」。誰にも気づかれなくていい。さりげない、ちょっとした自分だけのこだわり。
いま、暮らしを彩るための講座はいろいろあります。そのなかで、染色、食器を好みの絵柄で飾るポーセラーツ、革製品の小物を伝統的な手縫いの手法で仕上げるレザークラフトの講座をのぞいてみました。
どの講座も手づくりした品を身の回りに置く嬉しさ、わくわく感でいっぱいでした。できばえはそれぞれでも、みなさん笑顔と一緒に作品を持ち帰っていました。
なかには「家族のために」と、熱心に手を動かすひともいました。贈る相手の好みなど思い浮かべながら作業したのかもしれません。ひとを思う。「心の装い」もいいものです。
参加者は女性が圧倒的でした。女性ばかりの講座もありました。講座内容が「女性向け」と受け止められたのかもしれません。
ただ、社会の意識は変わっています。「暮しの手帖」は「女の人をしあわせにする雑誌」として誕生しました。家族の形態や暮らしぶりが多様化したいま、「性別、世代を問わずみんなが暮らしを楽しむために、違和感なく読めるものでありたい」(※)。現在の編集長はこう述べています。
(※)毎日新聞北海道版「24色のペン」、2023年11月23日付
ところで、いまさらですが。
「装う」を辞書で引くと二つの読み方が書かれています。ひとつは「よそお・う」です。もうひとつは…
話は料理に飛びます。
日本料理は「食べて美味しい」「見て美しい」と言われることもあります。これは懐石など「非日常」の高級な料理に向けた賛辞だと思っていました。毎日食卓にあがる家庭料理は別だと。
ところが、「一汁一菜」として、具だくさんのみそ汁を提案する料理研究家の土井善晴さんが、こんな話をしています。みそ汁をよそう、ご飯をよそう。この「よそう」は「装う」と書きます。きれいな服を着る「装う(よそお・う)」と同じですよ、と。
いつものみそ汁を、ちょっと見栄えよくわんによそう。それだけで、毎日のものがごちそうにもなる。特別なことはしなくていい。「装う」気持ちがあれば、忙しさにまぎれて、なんとなく見過ごしがちな、小さな楽しさや喜びに気づくこともできる。そんなことを教えてくれているのかもしれません。
さりげなく。
そのひとつひとつが、暮らしも気持ちも明るくしてくれる。
「装う」とは、そういうものかもしれません。
(了)
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