【随想】最後に残るもの
近所の空き地で建設工事が始まった。この場所は路線バスの走る幹線道路と片側1車線の脇道にはさまれた角地。通勤時はもちろん、休みの日に出かけるときもときどきそばを通る。何ができるんだろうとは思うが、案内表示板で確認するほどの関心事にはなっていない。
思い出せない
ところが、ここは以前何に使われていたんだろうと思いはじめた。いくら考えても、記憶をたどっても、思い出せない。ちょっとイライラしてきたとき、ネットの地図(航空写真)で調べた。答えはすぐに出た。便利な時代になった。
パソコンのモニターに現れたのは青空駐車場。そうだ、ここは月極め駐車場だった。普通に利用している車のほかに、出入り口のそばにナンバープレートは付いているが、誰も乗っていないような、止めっぱなしのような乗用車が1台あった。思い出した。
その元駐車場と歩道との境界に囲いが巡らされ、基礎工事がはじまった。
イライラは解消した。と安堵したが、新たな疑問が沸き上がった。駐車場の前は何だったんだろうか。建物が立っていたような気もするが。再びネットで調べた。駐車場以前の画像は見つけられなかった。
30年前の横浜
学生時代の友人と新横浜駅かいわいで会うことになった。実に三十数年ぶり、卒業以来の再会になる。かつて横浜に6年間暮らした。横浜を離れた1年後、横浜ベイブリッジが開通した。横浜駅周辺では「みなとみらい21地区」の再開発がはじまっていた。そんなころだった。
新横浜駅周辺は、駅から少し離れれば茅葺き屋根の家がまだあった。1992年に円柱型のプリンスホテルが開業し、その後も開発が進み街は一変した。
「茅葺き屋根」このことを友人に話すと、「それは30年以上前の話だろう」と笑われた。そう、あれから30年以上が過ぎた。あのころの景色を覚えている人はいま、どれだけいるだろう。
消えた思い出の地
5年前、横浜に行く機会があった。記憶を頼りに、かつて暮らした場所に向かった。私鉄の最寄り駅で降り、出口からすぐの商店街を歩いた。よくかよった居酒屋やファストフード店はない。通りをはさんで連なる店はどれも見覚えない。当たり前だろう30年ぶりだ、と思っても何か寂しい。
商店街を抜け、部屋を借りていた家の方へ進む。「方」というのは、はっきりと道がわからないから。「確かこっちだった」と思っても、あったはずの道はなく(あるいは様変わりしてわからないのか)、新たな道ができている。記憶の中で「目印」になっていた店や毎日通った銭湯もない。何もかも変わり、まるで初めての街を歩いているようだった。
「ここだ」と思った場所に、かつて間借りした家はなく、新しい家が立っていた。建て替えたのかと思い表札を見たが名前は変わっていた。
古くからの住人が住む地域だったが、ここも商店街や道すがらの通りと同じく、大きく変わっていた。記憶と現状の差に戸惑う。
街は変わる。これからも、変わる。ひとも変わる。そうやって社会は〝前〟に進んできた。頭ではわかっている。
覚えて、忘れて。そして…
近年、何事も変わるスピードが速いように感じる。新しく生まれること、覚えることが多すぎるのかもしれない。「十年ひと昔」は過去の話。
時代の変化にあらがいたくなるときがある。
ほとんど毎日目にする駐車場の「過去」は思い出せないのに、遠く離れた横浜での30年前の記憶はぼんやりとでも残る。それを頼りに思い出の地を訪ねることができた。忘れることと、覚えていることとの違いは、なにに因るのだろうか。
人生百年時代。これからも、いろいろなことを覚え、いろいろなことを忘れるだろう。
最後に残るのものは…
楽しかったこと、うれしかったことが多ければ、ありがたいのだが。
(了)
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