見出し画像

【散文】10分の意味。1秒の価値。

 寝坊した。
 ゆうべ本を読んでいて、いつもより1時間くらい遅く床についた。それがまずかったのか。 

 1便遅れの地下鉄

 あさ、無意識に枕元のスマホをみて、眠気が吹き飛んだ。いつも起きる時間より1時間以上過ぎている。目覚ましは鳴らなかったのか。わからない。そんなことはこの際どうでもいい。身支度を急がないと。遅れる。

 1時間くらい遅く寝て、1時間以上遅く目が覚めた。これじゃあ〝元金〟に利子をつけて、翌日に返済を迫られるようなものだーと、トンチンカンなことがふっと頭に浮かんだ。それほど気が動転していたということか。

  結果。いつもより1本遅い地下鉄に間に合った。時間にして10分くらいの後発。たかが10分。1便の違い。この程度の〝被害〟でヤレヤレ。「まあ、いつもどおり」

 と思っていたら、駅のホームや車内は「いつも」ではなかった。
 ホームには、いつもの2倍はいるであろう通勤・通学のひと、ヒト、人。もちろん車内も。
 たった10分でこの違い? 衝撃。「あさの10分」は、日中のそれと重みが違うとは聞くが、この現実から10分の意味をどう読み解けばいいのか。

  実は、今回の「10分」よりもっと驚きの、時間にまつわる経験がある。それは「1分の価値」。

 バスケの試合に衝撃

 はじめてナマ観戦したプロバスケットボール公式戦。席はゴール下のまん前。シュートを狙う選手と阻止する選手との瞬間の駆け引き、ぶつかり。格闘技さながらの激しさに球技であることを忘れそうだった。
 引きつけられたのはそれだけではない。試合の最終版での時間との闘い。時間コントロールの妙。

  1分。たった60秒。このわずかな時間に、日常生活ではなにができるというのか。
 バスケは違った。この時間の使い方が勝敗を分けることを目撃した。1分あれば、いや、1分もあれば、試合をひっくり返せる。
 選手は「秒」の単位の時間に集中する。リードするチームは守りに入るだろう。追うチームは、残り1秒を切ってもあきらめない。コンマ何秒。残り時間を表示する時計は、無慈悲に、淡々と数字を減らしていく。試合終了。
 このとき、いつも感じる。
 1秒の、なんと長いことか。

 最近、考えることがある。
 老いのこと。
 病のこと。
 命のこと。
 そして、寿命のこと。

 あまり時間に縛られたくない。日ごろからそう思っている。
 ただ、程度の多少はあっても、ひとは時間を気にしながら生きている。そのひとつひとつの時間が、コンマ何秒の積み重ねが、いつか「人生」と呼ばれるのかもしれない。
  時間は有限。大切にしましょう。そんなことをいうつもりはない。
 ただ、いつもと違う車内で、「与えられた時間」「残された時間」を考えた。

(了)

いいなと思ったら応援しよう!