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【随想】記憶のさざ波にのって(壱)

 古い写真のようなセピア色した記憶のところどころに、あのころ見た色が浮かび上がった。眠っていた色を呼び覚ましたのは「台湾茶」。東アジアに浮かぶ「美麗島」の名前はさざ波となって、三十数年前の出来事にまでたどり着いた。ひとつひとつの記憶はなつかしく、つらく、そして示唆に富む。時間をさかのぼろう。
 まず、23年前の沖縄から。

 はじめての沖縄
 2001年6月7日。沖縄に初めてやって来た。東京・羽田空港で乗り継ぎ、計約4時間のフライト。
 盛夏ではないが、北国から到着したばかりでは、さすがに「暑い」。気象庁の記録ではこの日、那覇の天気は「雨時々曇、雷を伴う」。平均気温は25.4度、最高気温は27.3度。南国の初夏の青空が迎えてくれたわけではなかったが、数時間前まで北国にいたので、気温の差は十分に感じた。

 空港から那覇市街に向かうバスの車窓に見える景色は、まるで「異国」。住宅の屋根瓦の形や鮮やかな色使いは、東南アジアを旅したときに見た景色を思った。街路樹や家々を飾る南国特有の草花も、「本土」にはない風景を演出していた。「沖縄にやってきた」。実感が沸いた。

 もともと観光やレジャーで全国的な人気を誇るが、前年は名護市で九州・沖縄サミットが開かれ、世界の目が注がれた。
 この年はさらに特別だった。NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」が人気を押し上げていた。沖縄が主要舞台となる初の朝ドラ。ヒロインはオーディションで選ばれた那覇市出身の国仲涼子さんが演じる。まわりをベテラン陣や実力派俳優が固め、初回放送時の平均視聴率は22.2%、最高視聴率29.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったようだ。

 大阪の事件に衝撃
 2001年6月8日。この日は全国の人に記憶されているだろう。大阪教育大学附属池田小学校で児童殺傷事件が起きた。午前10時過ぎ、授業中の学校に包丁を持った男が侵入し、児童8人を刺殺、ほかに児童13人と教職員2人が重軽傷を負った。
 事件は昼食に立ち寄った食堂のテレビニュースで知った。児童が、それも安全であるはずの校舎内で突然、刃物で切り付けられる。店に居合わせた多くの人が見入っていた。

 この凄惨な事件は、教育現場の安全確保や危機管理を根本的に見直す契機となった。地域に開かれるべき学校は、安全面強化のため門を閉ざした。地域住民だけでなく保護者でさえ敷地内や校舎内への出入りを厳しく管理された。本来学校は、地域の核となる場所だが、事件によって学校と地域間に不要な「距離」が生まれた。残念なことに、いまも完全に解消されていないように感じる。
 犯罪に対してだけでなく、学校の安全については新たな課題も出ている。東日本大震災では大川小学校(宮城県石巻市)で、避難中の児童と教職員84人が犠牲になった。大規模自然災害への対応も不可欠だ。近年では新型コロナの感染症拡大で教育現場は混乱した。

 胸が苦しい「戦争遺跡」
 沖縄は硫黄島(東京都)と同じ、国内で激しい地上戦が行われた地。各地に残る「戦争遺跡」を訪ねるのも目的のひとつだった。
 まず足を運んだのは「世界一危険な米軍基地」とも言われる米軍普天間飛行場を遠望できる嘉数高台公園の展望台(宜野湾市)。普天間飛行場は2700mの滑走路を持ち、在日米軍海兵隊が使う。周辺には住宅のほか市役所や学校など公共施設もある。何度もニュース映像などで見たことはあるが、現地で目の当たりにすると、住宅地のなかに「基地」がある現実に驚く。
 3年後の2004年8月13日、普天間飛行場所属の大型ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。
 普天間飛行場の名護市辺野古地区への移設は、県民を分断したまま強行されている。

 摩文仁の平和祈念公園(糸満市)では「平和の礎(いしじ)」に刻まれた、あまりに多い戦没者の名前に言葉を失った。
 平和の礎は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として1995年6月に建設された。国籍も、軍人も民間人も問わず、全ての戦没者の氏名を永久に残すために刻む。これまでに24万2225人の名前が刻まれ、沖縄県民に次いで戦没者の多い北海道出身者は1万807人になっている(2024年6月23日現在)。

 沖縄戦に関する実物資料などを展示する平和祈念資料館では、沖縄戦体験者の証言文を読んだり、証言映像を見たりした。沖縄の言葉が理解できない日本軍に、住民が「スパイ」視されたこと、本土と苗字が違うことを理由に改名を強制されたことなど、日本軍の沖縄県民に対するあまりに理不尽な行為を知った。
 ひめゆり学徒隊の慰霊碑「ひめゆりの塔」も訪れた。

残るモヤモヤ感
 決して楽しい「観光」ではなかった。その夜、地元新聞社の記者と沖縄戦のこと、報道の在り方、いまの社会のことなど話す機会があった。平和祈念資料館で知った「改名」の史実に驚いたことを話すと、意外そうな顔をしていた。こちらが知らなさ過ぎたからだろう。
 沖縄県民が被害者となる米軍人による事件や事故は絶えない。最近も複数の性犯罪事件が発生している。しかし、沖縄の痛みや怒りを「本土」が共有する時間はあまりに少ない。国民もメディアも、熱しやすく冷めやすい。
 基地問題など沖縄の抱える課題は多い。23年前は知らないことが多過ぎた。23年後のいまはどうか。自省する。

 滞在最後の日、せっかくなのできれいな海を楽しもうと、シュノーケリングに行った。そのとき沖に止めた船上で「天気がよければ見えるよ、台湾。先島からだけどね」と言われてびっくりした。
 「あの、台湾が見える?」
 じつはある時期、台湾に強い関心があった。渡航も考えたが、韓国でのある出来事で心が揺らいだ。
 時間はさらに、12年さかのぼる。

(つづく)

全3回掲載します。

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