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【随想】「話すように」は書けない

 「あの店、事前に予約した方がいいみたい」

 街を歩いていたとき、若者のこんなやりとりが聞こえてきました。
「おっ、飲み会かな」とか、「予約しないと入れない人気店に行くんだ」とか、少しうらやましくなったことを覚えています。

 そのときはそれだけのことだったのですが、後日、なんというか、妙に気になりだしました。何がそんなに気になったのか。もやもやが解消しないので、書いてみました。あれっ?
 それは、「事前に予約」への違和感でした。

 そもそも、予約というのは「事前」にするもの。当たり前ですが「事後」にはしない。「予め(あらかじ・め)約する(やく・する)」から予約です。
 つまり、「予約」という言葉には、「事前」という意味(ニュアンス)が含まれている。「事前に予約」は、屋上屋を架す表現ではないか。

 ただこれだけの話です。それがなぜ何日も引っかかっていたかというと、以前、「文章は話すように書けばいい」といった趣旨のことを言われたり、読んだりしたことがあったからです。そのときは、そんなものかな、とも思いましたが、これまで文章を書いたり読んだりしてきて、「それは違う」と思うようになりました。
 そう考えるようになったひとつの例が、先の若者のような「屋上屋を架す」会話です。会話だったらなんら違和感ない。それが、書き言葉になると、とたんに気になる。話し言葉と書き言葉は、まったくの別物。
 話すようになんて書けない。いまはそう思っています。

 「屋上屋を架す」といえば、苦い思い出があります。かつて「馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われた」的な文章は書くなと、厳しく指摘されました。そんな文章を書いていたんでしょう。
 いろいろ思い巡らせていると、頭痛が痛くなってきました。

 ところで、「鬼が笑う」話ですが、元日の初日の出を楽しみにしている人は多いと思います。
 「元旦の朝」の天気が気になりますね。
 この言い方、気になります?

(了)


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