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ならぶ。 待つ。 その先に
住宅地に異変
気づいたのは昨年(2024年)の春だった。自宅から歩いてすぐの、こういったら失礼だけれど、なんのへんてつもないラーメン店の店先に行列ができるようになった。
ここは、もともと「おいしい」と評判の店で、昼どきにはご近所さんや近くで働くひとたちで込んでいた。だから客が店先で空きを待つ光景は珍しくなかったけれど、それでも平均すれば数人だったと思う。
ところが、列は伸びて、となりの店の前を通り越し、まだ先に続くようになった。昨年の夏ごろからのようで、「なにがあったのだろう」とまわりで少し話題になったそうだ。そしてついに、店の入り口に隣店の前にはならばないように促す注意書きが貼りだされた。
寒くなってから、列は短くなっている。
ご近所の〝特権〟
昨年末、10人ほどの列が途切れたのを見計らって行ってみた。ほぼ埋まったカウンター席に座り、いつもの「赤味噌」を注文した。う~ん。なんど食べてもおいしい。この味が気軽に食べられる。近所の〝特権〟だなと、ほくそ笑みながら麺をすすり、スープを飲み干した。
でも、なぜ急にこんな人気店になったのだろうか。ラーメン1杯1,000円時代とも言われる昨今、高くても1杯800円台というのは魅力的ではある。
でも、それだけだろうか。
別の日。いつものようにカウンターに座って「赤味噌」を待っていた。すると、ひとつ離れた席の男性が、出てきたラーメンをまずスマホで撮影している。SNS? グルメサイトかなにかに「隠れた名店」とかなんとか書いて投稿するのだろうか。昨年は選挙でもSNS(交流サイト)の威力が取りざたされた。これが行列の理由なのだろうか。
実はこの店、ミシュランガイドに載ったことがあるとわかったが、それは10年以上も前のはなし。それが再ブレイク?
店主や客に聞けば理由はわかるだろうけれど、詮索はここまで。ぶらりと来て、いつものカウンターで、いつもの「赤味噌」を食べて、サッと帰る。こんな贅沢(ぜいたく)はもうできないかもしれないけれど、ミシュラン店の味を「なじみの一杯」にできる喜びはご近所だからこそ。
「おいしかったです」
カウンターで食べていた男性が、ひと言添えて店を出た。
この男性、ならんだ甲斐あり、とみた。
「世界」を感じた万博
ことし(2025年)、行列が、いや、大行列がいちばん望まれているのは、大阪湾に浮かぶ夢洲(ゆめしま)ではないだろうか。そう、大阪・関西万博(4月13日~10月13日)の会場だ。半年間にわたって、世界の人々がつどい、最新テクノロジーや各国の文化に触れながら未来社会を考える。
万博で思い出すのは、なんといっても1970年の日本万国博覧会(EXPO’70 大阪万博)。「お祭り広場」の大屋根を突き抜けた高さ70mの太陽の塔は、「芸術は爆発だ」の故岡本太郎さんのデザイン。その大きさと高さに圧倒され、広場のひとの多さに酔った。いなかぐらしだったので、外国人をじかに見るのも初めてだった。なにもかも「未知との遭遇」だった。
さらにビックリしたのは、パビリオンを取り巻くように伸びる入場まちの長蛇の列。圧巻はアメリカ館とソビエト館だった。子どものころの記憶なので曖昧だけれど、ソビエト館はたしか、2時間ちかく待った。なにを見たかはもう記憶にないけれど、ならび疲れたことだけは忘れられない。アポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館は、列の長さを見て、最初からあきらめた。
あまりの人出に、博覧会テーマの「人類の進歩と調和」をもじって、「人類の辛抱と長蛇」と揶揄されたことを大人になって知った。
会場を回りながら、パビリオンの列にならびながら、疲れて、驚いて、の2日間だったが、「世界」のすごさを間近に感じ、目に焼き付けられた特別な経験だったと、いまでも思う。
夢洲でみる夢は
開幕まで3カ月を切った大阪・関西万博は、161の国・地域と9国際機関が参加し、約2820万人の来場者を見込むという。ただ、参加国が自前で建設する「万博の華」とされるパビリオン建設は遅れ、入場券の売れ行きは目標の半分程度と、芳しくないはなしが先行しているようにも感じる。開催には「カジノ」の影もちらついているし。
ことしは「昭和100年」ともいわれる。「昭和」は、戦争があり、奇跡の復興があり、高度経済成長にともなう「一億総中流」意識とバブル経済に浮かれた。社会が大きく変化した「激動の時代」ではあったが、もう時代は二つすすんで「令和」になっている。にもかかわらず、「昭和の夢をもう一度」の意識から抜け出せてないのではと感じることがある。2020東京五輪しかり、大阪・関西万博しかり。
今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。 55年前の「昭和」に見た夢や、経験した驚き、感動はいまも色あせない思い出のひとつだ。「辛抱と長蛇」は遠慮したいけれど、「令和」の夢洲でみる夢は、どんな未来なのだろう。
東欧の街で
1990年代のはじめに東欧の数カ国を旅した。数年前まで「東西冷戦」が続いた東欧の印象は、計画経済が行き詰まり「豊かな西側」と比べて市民生活は厳しい、というものだった。メディアの影響が大きかったと思うが、少ない商品を求めて市民がよく行列をつくるというイメージもあった。
貧乏旅行だったので、どこの街に行っても旅行中の食べ物はなるべく市場やスーパーマーケットで買うようにしていた。市民生活の一端でも見られたら、との思いもあった。
ある街でスーパーマーケットの前に女性がならんでいるところに出くわした。パンやハム、水などを買いたかったので、列の最後尾についた。
やっと順番がきたので店に入ると、列の理由がわかった。
なかった。たしかに、なかった。それは商品ではなく、店内に備え付けの買い物かご。日本のスーパーでもレジを通る前の商品を入れるアレ。みんな、先客が買い物を終え、かごが空くのを待っていたのだった。
品ぞろえは、日本や西側の国ほどではなかったけれど、欲しいものは全部買えたし、店内をざっと見たら日用品などもそろっているようだった。
ステレオタイプ
この店での経験は一般的ではないのかもしれない。だとしても、メディアの情報から東欧のくらしをステレオタイプに見ていなかっただろうかと思った。
情報は切り取られて伝えられる。ともすればひとは、「部分」を「全体」として捉えてしまう。時代の変化とともに価値観の多様化がすすみ、社会は複雑になり、ひとつの見方だけでは捉えきれなくなっている。メディアについていえば、「オールド」と揶揄される新聞やテレビも、影響力が強まるSNSも、使う側のリテラシーはいっそう重要になってきている。
笑顔になってほしい
6週間の停戦に合意したとはいえ、パレスチナ自治区ガザでは、長く激しい戦闘で傷つき住居を失った市民が、治療や支援物資を求めて列をつくり、殺到するようすが伝えられる。見るたびにやりきれなくなる。
国内では、たび重なる大規模自然災害による被災者が、いまなお支援を必要としている。広がる格差社会のなかで、苦しい生活への支援を待つひともいる。
望みをかなえるために、生きる希望を見いだすために、ひとは、ならび、待つ。その先には、みんなの笑顔があってほしい。
(了)