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もどかしいって、ダメですか

 「30分待ちました 〇〇」
 「Nへ 先に行きます △△より」

 駅の伝言板

 高校卒業まで暮らした地方の小さな町。そこにある通学で使った駅の改札口付近や待合スペースにあった「伝言板」を見るのは、ちょっとした楽しみだった。使ったことはないけれど、チョークで手書きされた内容は、待ち合わせのことや簡単なメッセージが多かった気がする。それを読みながら、書いた人は相手と会えたのかなとか、用件は伝わったのかなとか、勝手に想像していた。 

 連絡したい相手に携帯電話やスマートフォン(スマホ)で、すぐ連絡できるいまの暮らしからすると、実にのんびりした話だ。もどかしく感じる人がいるかもしれないけれど、あのころは、そのもどかしい時間もひっくるめて、暮らしが成り立っていた。
 ときにはすれ違いもあったろう。それでも、連絡手段が家の固定電話か公衆電話、あるいは郵便くらいしかない時代にあって、「伝言板」は人と人とをつなぐ大切なものだったと思う。 

「携帯」があれば

 首都圏で生活した学生のころ、駅での待ち合わせで失敗したことがある。これといった目印になるものがない、さほど大きな駅でもなかったので、着けばすぐ分かるだろうと「改札口手前の階段の下」で待ち合わせた。
 ところがその時間、予想以上に利用者が多く、改札口付近は混雑して簡単に人を見つけられる状況でなかった。約束の時間から10分たち、20分たっても、待ち人は来ない。まだ携帯電話もスマホもない。ポケットベルすら一般に普及していない。
 結局、会えずじまいで、帰宅してから相手の家に電話したら向こうも帰っていた。話すうちに、駅には改札口が2カ所あって、お互い別の改札口付近で待っていたことが分かった。ドジな話だ。

 そして、ちょっとへこんだ。待っているあいだ「なんで来ないんだ」とイライラし、相手に腹を立てていた自分とは違って、向こうは、姿を見せないわたしを心配してくれていた。自分が情けなかった。 

 ペンフレンドは死語?

 「ペンパル」や「ペンフレンド」、あるいは「文通」という言葉は、きっと、もう死語なのだろう。かつて若者向け雑誌に「ペンフレンド募集」のコーナーがあったけれど、いまの個人情報保護の観点からすると、不特定多数が手にする雑誌に個人の名前や住所、ましてや顔写真まで掲載するなどありえない。悪用されかねない。

 そもそも手紙のやりとり自体に尻込みする。手書きは面倒くさいし、字はうまくないし、時間もお金もかかる。極めつけは、気の利いた文章が思いつかない。手紙を敬遠する理由ならいくらでも、簡単に思いつくのに。
 誰かに連絡するなら、いまは「断然、LINE」ということになるだろうか。いつでも、どこにいてもつながれる便利さは、安心感も生んでいるようだし。

 「便利」と「効率」と

 「かつて」と「いま」の暮らしをくらべると、「いま」は便利でスピード感があり、「かつて」はその逆とでもいえるだろうか。ビジネスなどでよく聞くタイパ(かけた時間に対する効果、タイムパフォーマンス)やコスパ(かけた費用に対する効果、コストパフォーマンス)は、現代社会を読み解くキーワードのひとつとも言える。

 社会の意識や価値観の変化は、歩みを止めることはない。そのなかで、便利さや効率のよさを追求してきたはずなのに、「便利=暮らしやすさ」「効率のよさ=進歩」と感じないモヤモヤ感が少なからずある。 

 手書きの年賀状

 全国の駅から「伝言板」が消えて久しい。携帯電話やスマホの普及で利用が減ったこと、本来の目的以外の落書きなどが理由のようだ。
 手紙やはがきも、めっきり書かなくなった。せめて1年に1度くらいはと、義理やお付き合いではない、ほんの少ない人への年賀状だけは万年筆で書くようにしている。
 はがきを前にすると、「最後に会ったのはいつだったか」「昨年はどんな一年だったんだろう」などと、先方のことを思い浮かべる。時間はかかり、書けば書いたでペンを持つ手は痛くなる。でもなぜか、それが楽しい。

 言葉をつむぐ

 「人間は感情の動物だ」。かつて恩師がこんなことを言っていた。これは、喜怒哀楽という感情の発露が人を人たらしめる、と伝えたかったようだ。今後は人工知能も「感情」を持つようになるかもしれないけれど。
 
 歌人の俵万智さんは全国紙のインタビューに、「言葉から言葉をつむぐだけなら、AI(人工知能)にだってできます」と答えている。AIのつくる短歌は、すでにデータとして存在する言葉を、それらしくつなぎ合わせたもの、と言いたかったのかもしれない。
 一方、記事には「人は心から言葉をつむぐ」ともあった。
 「心から言葉をつむぐ」ことは、一朝一夕にはならない。いろいろな経験をへて、長い時間をかけて、やっと心に浮かんだ言葉を大切につむぐ。それは人にしか持ち得ない「能力」だと思う。コスパやタイパの対極にある。

 たまには「便利」や「効率」を忘れて、「不便」や「非効率」に身を置くのも悪くないように思う。

 誰かを想って待つのも、手紙をしたためるのもいい。
 答えを急がなくたっていいだろう。
 
 心に「のりしろ」を持っていたい。
 それは、きっと「人間らしさ」を、つむいでくれると思うから。

(了)

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