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【読書】『十字軍物語』第三巻【「兵とは国の大事」ですよね?】

 『十字軍物語』第三巻は、第三次十字軍から第五次十字軍までを扱う。
 第一次十字軍は「そんな理由で始まったのか!」
 第二次十字軍が「しょぼい」結果に終わる。
 そして、第三次から第五次をつなげて考えると、
「なんでやったんだ?」
「どうして続けたんだ?」
と首をかしげてしまう。
 孫子曰く「兵とは国の大事なり」
 戦争とは、人の命がかかり、多額の費用が掛かるもの。
 利害得失を考えて、思い付きでやってはならないのだが。

「足並みがそろわない」第三次十字軍

 サラディン VS リチャード獅子心王
 十字軍史や、ヨーロッパ史、イスラム史に詳しくなくても、だれもが聞いたことのある英雄。
 キリスト側も、イスラム側も、両雄相まみえる―――――のはずだったのだが、結果を先に書けば、痛み分けに終わる。
 両方とも英雄だったから痛み分けに終わった、ともいえるのだが。
 キリスト側は、東地中海の海港都市を占拠し、制海権を手に入れた。しかし、イェルサレム奪還はならず。
 イスラム側は、海港都市を奪われたものの、イェルサレムの防衛には成功する。
 両雄相まみえたのに、なんとも煮え切らない結末。

 イスラム側の理由のほうが簡単なので先に書くが、イスラム勢は熱しやすく、飽きやすい。
 城塞を攻略するのは苦手なのであきらめたことは「第二巻」で触れた。
 そして、「聖戦」にも飽きてしまった。
 それをどうやって奮い立たせ、キリスト側に立ち向かわせるか、がサラディンの苦悩。

 対するキリスト側。
 ドイツ皇帝軍は、人によっては、10万と言われる大軍勢。
 しかし、ドイツ皇帝がゴクスという川で「溺死」する。
 現代の研究者たちの大半も、心臓マヒによる溺死、で一致しているのだが、心臓マヒを起こしたいのは十字軍側だろう。
 これによりドイツ皇帝軍は解体する。皇帝の次男が残りの軍勢を率いて連れてきたのは、騎兵七〇〇と、歩兵六〇〇〇。
 「皇帝溺死」というのは事件なのだから仕方がない。
 といっても、10万と言われた軍勢が一〇分の一以下になるのは減りすぎだろう。

 皇帝がダメならフランス王、というわけにもいかない。
 フランス王フィリップは、軍を率いてくるも、早々に側近だけ連れて帰国している。
 フィリップの生涯の目標は「フランス領拡大」。フィリップにとって、聖地奪還も、十字軍もどうでもいいのである。
 「兵とは国の大事」ということを、ある意味知り尽くしていたかもしれない。その「大事」を、聖地奪還の十字軍ではなく、フランス領拡大につぎ込んでいるからである。
 しかし、フィリップがそんなことをしてしまうので、十字軍に参加したイギリス王やフランス諸侯は気が気ではない。
 聖戦に参加していたら、自領がフランス王に奪われてしまうのだから。

 このような状況なので、1192年に講和することになる。

 リチャード獅子心王という英雄がいたのだから、英雄に一任して・・・・・ということになれば結果が違ったものになったかもしれない。

「どうしてそうなるのか?」第四次十字軍

 法王インノケンティウスは、もはやフランス王も神聖ローマ皇帝も、信用しない。
 しかし、イギリス王ジョンはフランス王に追い込まれ、十字軍どころの騒ぎではない。
 ということで、フランス諸侯に十字軍を依頼する。

 そして、フランス諸侯が決めたことは、
①補給路を断つために、エジプトのカイロを攻める
②遠征は海路を使う
③輸送をヴェネツィア共和国に一任する
と決めたところまでは良かった。
 しかし、フランス諸侯は、フランス王フィリップの自領拡大政策に警戒し、最終的にヴェネツィアに集まったのは1/3。

 兵がない。そして、輸送を頼んだヴェネツィアに払う金もない。
 それで、帰るわけにはいかないので、ヴェネツィアにそそのかされるまま、ザーラ攻略。
 そして、コンスタンティノープルを攻略して終了する。

 第四次十字軍は、20世紀に入ってからは酷評されることになるのだが、当時から19世紀までは悪評を浴びせられていない。
 第一次・第二次の十字軍が小アジアにわたる船をビザンチン皇帝に頼むと、「臣従契約書」に署名させて、嫌われていたこと。
 ビザンチン皇帝が十字軍に協力的ではなかったこと。
 第四次の結果、ヴェネツィア共和国が東地中海航路を確立し、聖地巡礼が安全になったこと。
 それらが、当時の人たちが批判しなかった理由なのだけれど。

 しかし、なぜ軍を起こし、何をやろうとしていたのだろう。

「引くことを知らない」第五次十字軍

 ドイツ皇帝も、フランス王も、フランス諸侯も、アテにならない。
 なので、仕方がなし、という形で、第五次は、中近東の十字軍勢力で行うことになる。
 第四次同様、補給を断つために、エジプトを攻め、ダミエッタを陥落させる。
 までは良かったのだが、そこからお互い進まない。

 迎え撃ったイスラム側は、アル・カミール。
 しかし、太守たちが反乱を起こしてしまったので、迎撃どころではなくなる。
 そこで、アル・カミールは、イェルサレムは返すからエジプトから出て行ってくれ、と十字軍側に講和を二度も求める。

 願ってもない条件に、十字軍側が講和に傾く。
 しかし、法王代理として参加していた、ペラーヨが断固反対。イスラム教徒との講和は許さない、キリスト教徒の血を流してイェルサレムを奪還せよ、と言って。

 アル・カミールは勝負に出る。ナイルの増水を利用して、ダミエッタに流し込むという水攻め、で。
 これであきらめた十字軍は、講和するしかなくなる。
 アル・カミールの出した講和条件は「ダミエッタを含みエジプトから撤退すること」
 結果、得るところが何もなく、やるだけ無駄だったのである。
 初めの二度の講和で手を打っておけば、イェルサレムを得られたものを。

「兵とは国の大事」ではなかったのか?

 「ある意味」では、「大事」なことをしているのである。
 フランス王フィリップは、フランス王領拡大。
 ヴェネツィアによる東地中海航路の確立と、聖地巡礼の安全確保。
 異教徒と戦うこと。
 なんだけど、十字軍の目的は何なのだろう?
 聖地、ではなかったのか?
 そもそもを持ち出してしまうと、「教皇 VS 皇帝」だったから、目的がブレてしまうのかもしれないが。
 もうちょっと考えてから戦争してくれないと。いや、戦争中も落とし所を考えてくれないと。

*アイキャッチ画像は、Free-PhotosによるPixabayから。

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