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哀しみを受け入れるとは?50代の『でんでんむしのかなしみ』

私は54歳の主婦ライターです。教員生活を25年間続けたあと、50歳で退職しました。振り返れば、私はずっと「何か」を背負って生きてきたカタツムリのような存在でした(いきなりすみません)。

カラスに狙われながらも、どうにかこうにか前に進む毎日。殻を脱ぎ捨てたいと思ったこともありましたが、そこには私の「内臓」が詰まっていて、脱げば死んでしまう。そんなジレンマの中で、「しょうがない、生きるしかない」と歩んできました。

『でんでんむしのかなしみ』に共感

教員だったころ、新美南吉さんの『でんでんむしのかなしみ』という絵本に深く共感し、子どもたちに読み聞かせたことがあります。そのころの自分と今の自分は、実はあまり変わっていません。「殻」は形を変えながら、ずっと私の一部なのです。

成功やお金より大切なもの

退職後、私も「成功したい」「お金を稼ぎたい」と強く思う時期がありました。事実、生活にはお金が必要ですし、ゆとりがあれば安心感を得られるとも思います。でも、本当にそれだけだろうか…。

教員を辞めたあと、Webライティングを始めたことで、少しずつ「結局、お金じゃん」という思いが薄れてきました。もちろん金銭的なゆとりは欲しいけれど、それが本当の「ゆとり」とは限らない。何より、精神的なゆとりは、教員時代のフル稼働のころとは比べものになりません。

悩みや不安を断捨離する

悩みや不安は尽きることがないーー。しかし、悩みや不安を抱え込むのは時間の無駄と考えるようになりました。人生には限りがあるからこそ、悩んでいる暇はない。今この瞬間を楽しむために、シンプルに「生きる」ことに集中する。それが私の生き方だ、と。

泣きたいときは泣けばいいし、寝てしまえばいい。それでも翌朝起き上がることができる自分がいれば、それは「生きたい」という気持ちの表れ。究極のポジティブさだと思います。

哀しい自分を受け入れて…

年齢を重ねると、シワや声の変化といった「老い」を感じるものです。それを嘆いたり、過去に執着したりしても仕方がない。いつかこの世をさるなら、「今」を楽しみ、自分を甘やかしながら生きたい。そう思うようになりました。

殻を背負うカタツムリだった私が気づいたのは、殻はただの重荷ではなく、むしろ「自分への愛」そのものかもしれないということ。自分の弱さや悲しみも受け入れて、それを愛することが本当の「生きる喜び」なのかもしれません。

自分を生きる

「何かに成功する」「お金持ちになる」という目標に囚われず、やりたいことをやる、笑顔でいられないとしても日々の感謝と小さな幸せを感じる。

人間、お互いに「ちがう」存在であり、過去の自分と今の自分の細胞も変化している…。それなのに、どうして同じようになろうとするのか。違いや変化を受け入れたほうが、よほど価値あることなんじゃないかーー。

比較や、過去への執着を手放せば、今の「自分」という宝ものが見えてくる。そうなれば、笑顔も増えるーー。

ちょっと私自身に言い聞かせるような書き方になってしまいましたね。

少しでも心に響くことがあればうれしいです。あなたにも、自分に笑顔で拍手を送れる日が訪れますように。

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ひーこ【50代元教員ライター主婦】
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