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平日の十五夜に家族で天体望遠鏡をのぞく生活ができているわたしは勝ち組かも

海外で子育てしているからこそ、日本の行事を大切にしたいと思っています。

子どもたちはカナダ生まれカナダ育ちではありますが、間違いなく日本人の血が流れています。

わたしは子どもたちに、日本語を理解し話せるようになること以上に、日本の文化や日本人が持つ独特の感性を理解し身につけて欲しいと願っています。

お月見という習慣はそういう点で、日本の文化を伝える絶好の機会だと感じます。

秋の夜に満月を眺めながら、ただ静かに時間を過ごす。

なんて美しい伝統習慣なんだろうと思います。

カナダでも十五夜の日の月はHarvest moonという特別な名前で呼ばれています。昔まだ電気がなかった頃、収穫作業の残りをHarvest moonの一際明るい月明かりで行ったことからそう呼ばれているそうです。ですが、月を愛でるという習慣はおそらくありません。

今年は天候に恵まれて、わたしたちが住む地域でも素晴らしい満月がのぼりました。

どんなに美しい月が出ていても、お月見はお団子がないと始まりません。
結局は”月より団子”です。

夜がやってくる前に、息子たちにお団子を丸めてもらいます。

↑写真は次男ですが、中学生の長男もしっかり手伝ってくれてます。


それっぽい感じのお月見献立を食べます。

子どもたちが小さい頃は、夕食の後お月さま関連の絵本を読んでいました。

今年は、ジブリ映画の『かぐや姫』のサウンドトラックをBGM に夕飯を食べることにしました。

夜が訪れると、わたしたちは裏庭に出て、天体望遠鏡をセットします。

いつだったか忘れましたが、まだ長男が小学校に上がるか上がらないかくらいの時に天体望遠鏡を買いました。

息子たちは幼い頃から宇宙に興味があり、わたしたち夫婦も天体観測が好きなことから、少し奮発して大きなものを購入しました。

それ以来毎年、十五夜の日に晴れていれば、裏庭に天体望遠鏡を取り出して月を観察しています。

「すごーい、クレーターがはっきり見える!」

毎年見てるはずだけど、子どもたちもわたしも毎回興奮します。

ぼこぼこしたクレーターを目の当たりにすると、月にうさぎが住んでないという現実をつきつけられますが、それでもなお光輝く月が美しいことに変わりはありません。

今年はとっても小さくですが月に寄り添う土星も見えました(ちなみに、土星の輪っかは2025年春に土星の動きや地球との角度の関係で一時期的に見えなくなるらしいです。その影響で現在輪っかはほぼ直線に見えます)。

わたしは子どもたちの姿を見ながら、心の中で日本のお月見の意味を噛みしめます。

日本では昔から、秋の満月の夜に月を見上げ、豊作を祈ったり感謝を捧げたりしていました。ですが、わたし自身、子どもの頃はそれを意識していませんでした。
こうしてカナダに住み日本の伝統行事を大切にするようになったことで、カナダで生まれ育った息子たちの方が月を見上げる時間を大切に思っている気がします。

*  *  *

カナダに来てから、日本の伝統行事がわたしにとってどれだけ大切なものか、より強く感じるようになりました。息子たちが日本語を話せるようになることも大切ですが、それ以上に、日本の文化や感性を感じ取ってもらうことこそ、わたしが親として彼らに残したいものです。

息子たちが大きくなっても、この時間が特別な思い出として心に残っていてくれたら。そして、彼らもいつか自分の家族に日本のお月見を伝えてくれたら、そんなささやかな願いを胸に抱きながら、わたしは満月を見つめます。

日本に住んでいたら、サラリーマンの夫、中学生の長男、小学校高学年の次男が全員揃って平日の夜にゆっくり月を眺める余裕はあったのかなと思ったりします。

日本に住む家族親戚や友達なんかの話を聞いていると、仕事、部活、塾、習い事と毎日本当に忙しそうで、みんなで夜空を見上げる時間はないのではと想像します。

こうして、平日の十五夜に家族全員で天体望遠鏡をのぞきながら過ごす生活ができているわたしは、もしかしたら「勝ち組」なのかもしれない。

もちろん、特別なことをしているわけではありません。けれど、こうして平日の夜にゆったりと月を眺めるというのは、忙しい現代社会において、最高の贅沢なのではないかと思うのです。

「カナダの裏庭で月を眺めながら団子を食べているのは、この辺ではおそらくわたしたちくらいだろうな

などとほくそ笑みながら月を眺め団子をほおばる2024年のお月見でした。



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