私のバイト時代①バイトを始めるまでの自分との葛藤。幸せとは何か。不登校、引きこもり、フリースクール、非行を経て国家公務員へ〜
今までどんなバイトをしてきたの?と
よく聞かれることがあります。
そこからお話させて頂こうと思います。
母の新聞配達の手伝いをしながら、
郵便局の短期バイト
コーヒーの直売所兼パン屋
スーパーのレジ兼品出し
専門学校時代1日だけのヤマトの倉庫仕分け
転職する繋ぎとして1か月半だけの
冠婚葬祭の初盆設置兼準備
計6つです。
どれも良き経験をさせて頂きました。
私がバイトを始めたのは
15歳から16歳になる頃でした。
当時、『バイトなんかしたくない。
バイトをしたところで何が変わるんだ。』と
言っていたし、思っていました。
そう言ってはいたけれど、
実際、心の中では、人が怖かった。
人は嫌いだったけれど、好きだった。
矛盾してますよね。。でも人が大好きだった。
だから誰かと触れ合いたかった。
でも、また、人を失望させてしまったら、
仕事ができないと思われたら、
これ以上、人に嫌われたくない。
仕事をしてもないのにそんな事が
頭の中ではグルングルンしていました。
携帯ばかり触る毎日。
遊び回る毎日。
それなのに、こんな理由で働けない。と
また言えなかったんです。
そんな事を考え、遊んでいたら、
気づけば、約一年もの月日を
無駄にしてしまっていました。
実際、親に甘えていたんです。
昔、非行仲間に言われた事がありました。
『ひーろは、両親がいて
家に帰ればご飯が用意してあって、帰る家がある。
そんな事ほど、幸せなことはないんだよ。
私はひーろが羨ましいよ』と
家庭崩壊している友人に言われた事があります。
今ではその言葉の意味がわかるけれど
当時は『その言葉の意味に』重さに
気づいていませんでした。
そんな事を、思っていた、言っていたのに
『なぜバイトを始めたんだ?』と思いますよね。
そのきっかけをつくってくれたのは
当時の友人達とやっぱり母でした。
当時友人達は家庭崩壊している家が多く、
自分で稼がないと、携帯も止まる。
ご飯もない。遊ぶお金はもちろんない。
そんな状況だったから、
皆、めんどくさいという理由で
高校は辞めてしまったけれど
それぞれに仕事を始めていました。
『ひーろまだ働かんの?うだうだ言わんではよ働けよ!』
と、よく友人達に言われたものです。
鳶職の仕事に誘われたりもしましたが
私は、またうだうだ言って、断りました。
私が夜中遅くに家に帰り、昼に起き
母が作ってくれた、お昼ご飯と、
置き手紙がいつものようにおいてありました。
その置き手紙の内容が
『今日こそはバイトみつけなさい』と
ある時から書かれるようになったんです。
最初は『うるさいな』と思って、その手紙を
ぐちゃぐちゃにし、ゴミ箱に捨てていました。
母はいつも仕事から帰り、
家事をし、仏壇の前で泣いていました。
それをいつも見ていると、
いたたまれなくなってきたんです。
そんな時、母がお昼ご飯と置き手紙と
その横に、年末年始郵便局短期バイト募集の広告を
置いていたんです。
『母をこれ以上泣かせるわけにはいかない。
親の脛をかじってまで、ニートを続けるわけにはいかない。
友人達も皆バイトを始めたし、私もやろう』と
いう気に、ふっとなったんです。
すぐ広告の電話番号に電話をしました。
面接は確か、無し。だったので、
電話で即採用になりました。
働きたくないと思っていたけど、
採用されると嬉しくて、
すぐ母に電話をしました。
その時、私以上に、母は喜んでいました。
なんでか、その母の声を聞いて、
すごく嬉しかったんですよね。
そこから、右も左もわからない、
私のバイト生活が幕を開けます。
ここから沢山の出会いと別れを繰り返し、
今もお世話になっている先輩達、
人生を変えてくれた先輩や友達に
出会うことになります。
勿論、いい人もいれば悪い人もいる。
でも、この道を通らなかったらきっと
前者のような人達にはきっと出会えなかった。
noteでこんな話をする機会は
なかったと思います。
そう思えるだけで、この道を
この茨の道を歩んでよかったと思えます。
今は辛く苦しい状況にいる方もいると思います。
騙されたと思って、一歩でも半歩でもいいから
踏み出してみてください。
きっと新たな扉が開かれると思います。
扉を間違えたら、扉を閉めて、
また別の扉を開けてみればいい。
きっとあなたにとって、そこは素敵な世界が
素敵な景色が一面に
広がっているかもしれないから。
次から郵便局での初バイトが始まります☺️