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子どもと歩むサッカーと人生(その2 小学校時代のいじめは辛かった)

私は40半ばのどこにでもいるおじさん。
長男が子どもの頃からサッカーをプレーしており、週末、長男のサッカーを応援する事に生きがいを感じているおじさんである。

軽い気持ちで入団した少年サッカーチーム
そこには1人のサッカー少年がいた。この少年はいまでいうガキ大将やイジメっ子気質サッカーの実力は普通だが、チームの中心選手

4年で入団してきた私は人より体が小さく、メガネを掛けていて、かっこうのいじめのターゲットにされた。
しかも、その子と5年生で同じクラスになり、学校でも、チームでも一緒になり、日々の学校での生活がとても辛くなっていく

またその頃、小学校受験をするために塾にも週4の頻度で通っていたが、学校の宿題、塾の宿題、サッカーの練習・・・・・いっぱいいっぱいになりお、全てをこなすだけになり、結果、成績も下がってしまい、急に落ちこぼれな状態になってしまった。

その当時、ドラえもんののび太くんを見て、シンパシーをすごく感じていた記憶が今でも蘇る。

毎日毎日、教室でいじめられ、「どう死ぬか」を考える日まであった。
その中である日、母親に学校やサッカーに行きたくないと母親に伝えた。
母親はいじめられている状況にショックを受けたが、先生にいじめをなんと
かして貰うように話をしてくれた。

が・・・・

当時の5年、6年で受け持った担任の女性の先生は「いじめられた方も原因がある」というスタンスだった。
そのため、母親がどんなに訴えても、何も対応をしくれず、いじめの状況はかわらなかった。
父親は?と思うかもしれないが、その時、父親は母と大喧嘩しており、1年近く口を聞かず、家にもろくに帰らない状態だったので、頼る存在ではなかった。

5年の終わりごろから状況は変わらず、学校や塾やサッカーにも行きたくなかったが、Jリーグの選手(カズや福田、武田)に憧れを頂いた自分は、公園で1人でボールを蹴って練習する事が増えていた。

その中で、転機が訪れる。

6年に上がったとき、自分の少年サッカーチームはAチームとBチームがある。Aチームはイジメっ子が中心となり、Bチームは自分がプレーしていた。
あるテストマッチで隣町の小学校とテストマッチをする機会があった。

BチームでCBをポジションとして任されていた。
当時の自分のCBのイメージは後ろにいて、相手からボールを取って、前に蹴るという事を求められていたため、「ボールに触れない、あまり関われない」という感覚しかなかった。またポジションにいる事を求められるため、走りすぎると、ポジションを開けるので怒られる事が多かっった。ただ、前のポジションは上手い選手しかできず、自分はそこでプレーできないと諦めていた。

その日は中盤の守備的MF(ボランチ)でやってみなさいと言われた。
試合が開始され、非常に楽しくてしかなたい。走れる。ボールに関われる。いっぱい走っても怒られない。時間が楽しく過ぎていった。

そして後半開始直後、30数年たった今でも覚えている。
センターサークルでボールを受けたあと、前にドリブル、1人を交わし、
2人目を交わし、3人目を交わして、PA外からシューㇳ!
豪快に突き刺さり、チームに入って初めての得点を取ることができた。

Bチームメンバーが自分のもとに集まり祝福をしてくれる。
コーチもよくやった!と褒めてくれる。
その当時、自分に価値がないと毎日思っていたが、自分もここまでできるんだ!と本当に嬉しかった。

試合翌日の朝練習
Aチームのイジメっ子がストレッチをする自分に対して、からかってくる。
いつものこと・・・我慢すればよい。 

その時、コーチ(当時大学生)のお兄ちゃんが

「お前らは人のこと馬鹿にするほど、ちゃんとやってんのか!こいつは練習を真面目にやって結果を出したぞ!お前はちゃんとやってんのか!」


と全力でそのイジメっ子に対して本気で怒ってくれた。

当時、先生もそのイジメっ子に何もいわず、大人が状況を変えてくれる事に何も期待をもたなかった自分はとても驚いた。そしていじめっ子達はバツが悪そうにしていた。

そしてその日の学校からイジメっ子たちのイジメが7割ぐらい減った。
全てではないが、7割減るだけでも心の負担が違う。学校に行くキツさが無くなった。大人の一言で全てが変わる事を経験した。

その日からサッカー練習が楽しくなり、毎日サッカーをする事が楽しくなった。
夏前、母親が声をかけてきた。
「受験する?やめてもいいよ。サッカー好きならサッカーをとってもいい」
別にサッカー選手として特別な才能や、サッカーで生きる覚悟なんてない。
親は受験のために何百万もかけてくれたのはわかっている。

でも親に「サッカーしたい」と伝えた。
親はその日、塾の退会手続きをしてくれた。塾の先生から引き止められたけど、まったく未練はなかった。

そこから小学校卒業までの半年間。
サッカーチームで下手なりに、楽しくサッカーを続ける事ができた。
イジメっ子のイジメはまだ少し残っていたけど、それでもサッカーが楽しかった。

ただし、中学校でもサッカーを続けるか?という選択肢に迫られるが、自分はサッカーがやりたかったが、中学ではサッカーを続けない選択肢をした。

それは受験をやめた事で、自分の学区は大田区の中でも1,2を争う最悪に荒れている中学に行くしかなかった。いわゆる東京リベンジャーズ的なオールドタイプの不良がまだ跋扈している学校であり、

・他校から不良が乗り込んでくる
・火災報知器が押されすぎてならない
・警察が1Fを不定期で巡回する。
・先生が基本、竹刀を持っている

的な数えれば限りなくネタがでてくる中学校だった。

しかもイジメっ子たちもそのまま同じ中学になるという事で、サッカー部に入る事も聞いていたため、小学校からのイジメ継続はしたくない気持ちが大きく、自分のサッカー人生は小学校で終わりを迎えることになる。

ただし、30数年経過した今でも小学校最後の半年間のサッカーは自分の人生に大きな影響を受け、そして今でもサッカーを好きでいる事の根幹であると感じる。

つづく




つづく

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