思い出は優しい
小さかった頃母親に「思い出はいつも優しいのよ」と悲しそうな顔で言われたことを大学生になった今でも覚えている。
聞いた当時は幼稚園生か小学校低学年くらいだったので意味なんてまるで分からなかった。だけど、今なら少し分かる気がする。ちなみに超個人的な見解なので悪しからず。
「思い出は優しい」
誰にでも思い出はあるだろう。私にだって例外なくある。
家族で旅行に行った、友達とお腹を抱えるほど笑った、好きな人と話した。もちろん悲しい、辛い思い出もある。けれど、思い出と聞いて瞬時に浮かび上がるのは大抵が楽しい記憶だ。
ただ、それは往々にして風化し、思い込まれていくものなのではないだろうか。年月と共にその記憶は薄れていく。そうして人はいつしか自分が望んでいた、理想としていたものにすり替えていく。人は思い込む生き物である。自分が正しいと思えばそれは事実にすり替わり、楽しいと思えば楽しい記憶にすり替わっていく。
思い出は自分が考えるままに作られてしまう可能性を孕んでいる。ならば、それが優しいというのはある意味当たり前と言えよう。思い出とは私の心を投影した一種の虚構なのかもしれない。
「思い出は優しい」
この言葉が頭の中にふと蘇る時、私はいつも「大事なのは今だよね」と思う。
結局の所、思い出に寄り添ったとしてもそれは私にとって優しすぎる。
なぜならその過去は自分自身が作り上げたものでしかないのだから。
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