クリーンファイターズの軌跡 ~限られた予算で強いチームを作る!~ 2
こんにちは。
スクラムヒューマンパワー代表 日原 達仁です。
私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。
平成3年12月、東京洗染機械製作所(TOSEN)の製造部が
山梨県への移転を決定し、地域密着型企業を目指すべく、
その一助としてラグビー部が結成されることになりました。
平成4年、ラグビー部員となる社員の確保が始まり、
平成5年には山梨工場勤務予定者として、
7名のラグビー経験者が採用されます。
平成6年には、部員数も17名となり、
関東社会人連盟4部への登録を果たします。
山梨県初のラグビーチームの誕生です。
地元山梨で就職し、地域へ貢献したい、
社会人となってもラグビーを続けたいと考えた私は、
迷うことなく東京洗染機械製作所へ就職を決めました。
仕事とラグビーの両立はやはり厳しく、
限られた時間でどう練習していくか、試行錯誤の毎日です。
あっという間に時間は過ぎていきます。
高卒入社で、高校時代は県予選1回戦敗退だったというチームから入社したメンバーもいました。まさに1からのスタートです。
毎日基礎、基本練習を続けながら、
いつかは強豪チームの仲間入りがしたいと夢を描き、
仕事にラグビーに奮闘していました。
同じ年、TOSENラグビー部は関東社会人4部リーグに加盟、
9月には公式リーグ戦が開幕します。当時の関東社会人連盟には
約200チームが名を連ね、企業チームとして活動していました。
4部はエンジョイクラブチームに
毛が生えた程度のチームがほとんどで、公式戦も人数が揃わなかったり、
背番号が揃ってもいないこともあったりします。
ラグビーはレギュラー15名・リザーブ7名の、
22名の選手で試合を戦うのですが、
私たちのチームも人数が揃わず、17人のメンバーで挑みます。
社会人チームとして産声を上げ、初めての公式戦、
会社の役員・社員の皆も応援に駆けつけてくれました。
高校、大学と日本一を目指すチャンピオンチームに所属していたので、
正直ギャップを感じることもありました。
大学時代、公式戦へ出場できなかった自分の力の無さを嘆いたり、
トップチームで活躍する同級生を羨ましく思ったりもしました。
ラグビーは栄光、屈辱、挫折・・・、何度も何度も経験します。
何とかしてここから這い上がることを考え、長い道のりを歩み始めました。