梁石日さんとの思い出
6月30日の新聞で、作家の梁石日(ヤン・ソギル)さんの訃報を知った。
ずっとまとめたいと思いながら時間が経ってしまったけれど書いておく。
興味を持ってもらえそうな方につながればいいなあと思い、noteへ。
梁さんとお会いしたのは1996年、私がテレビ番組の制作会社でADをしていた時。自分のチームのディレクターが、NHKBSの「素晴らしき地球の旅」という90分のドキュメンタリー番組を担当することになり、そのレポーターとして梁さんが韓国を訪ねることになった。
当時の梁さんは、代表作『血と骨』を書く前で、『タクシー狂騒曲』という小説が崔洋一監督の『月はどっちに出ている』として映画化されたこともあり(岸谷五朗とルビー・モレノが主演でたくさんの映画賞で話題になった映画)、「『月はどっちに出ている』の原作の人」と呼ばれることが多かった。
私はたまたま、その仕事を最後に会社を辞めることにしていたけど、まさか自分がのちに小説を書くようになるとは思っていなかった。
ディレクターが飲みの席で苦々しそうに梁さんに私が辞めることを伝えた場面を今でも憶えている。
その頃の梁さんはおとなしく見えたけれど(たぶん分野外のテレビに連れてこられ、遠慮していたんだと思う)、それでも作家に必要な「PASSION」を感じた。情熱ってよりPASSION。そういう人(型にはまらない人)でなければ小説など書けないという厳しさが漂っていた。
時が流れて2007年。
(経緯は割愛するけど)
私は2冊目の小説を書くチャンスを得ていた。
その担当編集者が、なんと、梁石日さんの『血と骨』を担当したお方だった。
その編集者(芝田さん)から最初にいただいたメール(これがかなり熱いもので、いつか公開したくて保存してある)の一部より・・・
<藤村さんのブログに記述があったので先に申し上げておきますと私は3年前まで幻冬舎におりまして梁石日さんの「血と骨」の担当編集者でした。もしかしたら〇〇〇〇さん(*制作会社名)にいらしたのですか?だとしたら、なおさら奇遇だな、と感慨にふけっております。>
私がよく出くわす「偶然」は、この時も発生していた。
梁さんは、『血と骨』(1998年)によって、山本周五郎賞を受賞し(直木賞候補作にもなり)、映画化もされ(ビートたけし、鈴木京香、オダギリジョー)ベストセラー作家になっていた。
芝田さんにとって、最も深く関わった作家と面識があることで、一層縁を感じてもらえた。
そして、こちらもたまたまだけど、芝田さんが担当してくれて書いた『赤土に咲くダリア』(ポプラ社)の中で、実在する洋食屋「キッチンにんじん」(*現在は新しい「キッチンにんじん」が別の場所にあるけれど、初代の、家族で出かけた思い出の店)を登場させたくて、生前のマスターに許可をいただきに伺ったら、マスターの愛読書が『血と骨』で、二つ返事でOKをもらえた。
作家や本がつなぐ縁(信頼)って確かにある。
私も芝田さんの熱い伴走で小説を書き上げつつも、のちに芝田さんは、梁さんより先に亡くなってしまう。
その芝田さんが生前に書いた、芝田さん本人の本より。*汚したくなくて、カバーをどこにしまったかわからない・・・
複数の出版社を渡り歩き、何百冊と担当し、有名作家とも数多く関わってきた芝田さんが、いちばんページ数を割いて触れたのが梁石日さんだった。
私は東京で参列した芝田さんのお通夜で、梁さんと再会できた。
テレビの仕事の時に同席したことがあった奥さん(梁さんより30歳若い)も一緒だった。
しかし、梁さんは車いすで、話がしっかりできる様子ではなかった。
元々親しみやすかった奥さんと『血と骨』狂騒曲の話をした。
そんな思い出が断片的にあったので、梁さん、亡くなったんだなあ~って、しみじみ思った。
特にファンだったわけでもないし、分厚い『血と骨』は読んですらない。
映画もぜんぶ観ていない。
ただなんとなく、私も小説を書くという体験をしてみて(体験でしかない程度だったけど)、梁さんに第一に思いを馳せたのは事実だった。
ADの時にいただいた本。
他にもあるけど、なぜかこれにサインをいただいたのと、表紙はなくしてしまった。
この「恵存」という言葉は、贈り物をする際、「おそばに置いてください」という意味らしく、何もわからず本が出て、サインを求められるような場面では、ちゃっかり真似させていただいた(笑)
私は親しい方々やかわいがっていただける方々が元々だいぶ年上が多く、知り合った時から「敬老会」(←愛をこめて)だったりするので、亡くなってしまうことも重なってきた。
芝田さんがいなくなり(芝田さんは若くして亡くなり)、梁さんもいなくなり・・・
私にとっては、一つの時代が終わっていった。
芝田さんの、最初で最後の著書の年表(担当作品集)に入れてくれた私のペンネームと作品名。
濃い方々に関わらせてもらえたこと、幸せでした。
地方都市でそれなりに暮らしているし、私はその生き方(ふるさとの近くで家庭を持って生きていく)を選んだけれど、逸脱を当たり前に話せる文学界隈のみなさんとの時間はかけがえない宝物。
その世界でしか得られないワクワクドキドキは今はないけれど、特有のトガッたスピリットやPASSIONは、持ち続けていたいなあって思う。
芝田さん、梁さん、ありがとう!!(合掌)