「感情を耕すこと」ー息子が幼稚園に通い始めた頃考えた父親の話
いきなりこんなことから書き始めるのも恥ずかしいのですが、私は自分の感情にまかせて考えることが苦手です。
数年前、仕事関連でとあるワークショップに参加しました。始まってしばらくして、講師の先生が「今あなたはこの瞬間、どんな気持ちですか?」と問いかけてきたのです。その時に、「?」と不意をつかれた感じがしました。私はその質問に結局上手に回答することができなかったのですが、他の参加者はとても素直に豊かな言葉でその時の感情を語っていたのです。このワークショップの後、「もしかすると、自分は心の大切な何かを日々の仕事の中でネグレクトしてきているのでは」と、思いました。仕事に没頭する傍らで私は人間として「大切な何か」を育ててこなかったのではないかと。
その「大切な何か」は息子が4月から幼稚園に通い出してからより意識できるようになってきたような気がします。
4月から子どもの感情と思いきりぶつかることが多くなりました。朝トイレに行く・行かない、幼稚園に行く・行かない等…終わりのない息子の感情と向きあいます。そして仕事から帰ってきた後、幼稚園で楽しかったこと、うまくいかなかったことなどを息子から聞きだします(…が私の聞き方が上手くなく、良く分からないことが多い)。そして妻から今日一日大変だったこと、嬉しかったことなど聞きますが、私も疲れていてしっかりと聞けずにイライラすることも多々あり、時間が経ってから申し訳なかったなと思う日々。そのような過程を経て、喜怒哀楽の感覚を十分に刺激されて布団に入ります。仕事において論理的に考えたりすることが多い私にとっては、このように日々の喜怒哀楽の経験を通して、私の感情が豊かに、肥沃に耕されていくように感じるのです。
柔軟な職場環境のおかげもあり、週に一度は息子と家から幼稚園までの道をゆっくり一緒に歩きます。これはとても至福な時間で、海外旅行のような異文化体験です。幼稚園の隣の公園に咲いている花を集めたり、だんご虫の話をしたりすることで、息子は彼の世界を私にみせてくれます。それと同時に、スピード・効率性重視、論理・非感情、競争的等のような世界に私がいることを意識させられます。私の手を握るあたたかい小さな息子の手。時折私の手をぐいっと引っ張る息子の小さな力には、まるで錨のように私を本来の人間的な世界に連れ戻してくれるかのような力強さがあります。
子育て本に、「子どもの感情を豊かに育てましょう」等とよく書いてあると思います。常盤平幼稚園を人間教育の面で良いなと思って選びましたが、人間教育を今必要としていたのはむしろ私であったのかもしれません。
感情を耕すこと。これは私が仕事にかかわるなかで失いつつある感情の豊かさを息子の幼稚園の生活を介して育てる、大切な日常の営みです。