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織田信長の弱兵軍団

織田信長は、家督を継ぐ前から、父の信秀が支配していた、津島、熱田の貿易の利益で得た金で、暇をしている武家の二男、三男を、雇い、信長流に、直属の精兵として、訓練していた。

 その兵が、桶狭間で、今川義元を打ち取り、血で血を洗う、尾張統一の肉親との争いに、信長の弟らは、従来の農民を中心とする兵を率いていたが、信長は、
銭で雇った兵隊で、それらを次々と打ち破って、尾張統一を果たす。

 自信を深めた信長は、明智光秀、
滝川一益、羽柴秀吉、など、素性の知れない者にドンドン仕事をさせ、軍隊を率いさせた。
 武田信玄、上杉謙信、などの戦国大名の兵がいかに強いといっても、農兵が
主力なので、やがて、畑仕事のため、
国に帰らなくては、ならない。
 信長の兵は、銭で雇った兵。弱兵だが、いつでも、どこでも、いつまでも、
戦を続けられた。美濃の斎藤氏、
北近江の浅井氏などは、この『弱兵』に音を上げ、滅びてしまった。

 この『弱兵』を集めるために、金が
常に必要で、信長は、楽市楽座なので、
経済活動を活発化させ、大津、堺、敦賀などの、貿易、最重要拠点をおさえ、
集金しながら、『弱兵』には、長槍を与え、鉄砲を与え、農兵を率いる戦国大名のライバルを破っていった。

 このように、信長の政策は、連動していたことが見て取れる。


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