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 中村天風と私 ⑤

 中村天風は、どういう人が出世するかということを、文章にしている。 
 天風は、人が世を渡っていく上で、人に好かれることが、最も大事だと言っている。
 日本史上、一番人に好かれた人物として、豊臣秀吉をあげている。
 秀吉は、戦国時代、水呑百姓から日本の兵馬の権を一手に握るほど、出世した。水呑百姓というと、現代で言えば、ルンペンのような存在。
 戦国時代は、様々な才能を持った人物が雲霞の如く出てきた。秀吉が仕えていた織田信長の組織で言っても、明智光秀、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、竹中半兵衛、黒田官兵衛など。
 明智光秀は、織田家では、秀吉より出世した人で、戦も上手く、文化的教養も深く、領国経営も上手かった。
 しかし、人に好かれるという能力は、秀吉には、かなわなかった。
 だから、様々な要素があるが、山崎の戦いで、光秀は秀吉に敗れた。
 天風は、頭が切れる、学歴がある、などの能力より、人に好かれなさい、という。
 では、人に、好かれるには、どうすればいいかというと、人の気持ちを自分のことのように、考えられるかという、一点に尽きる。
 秀吉を例にとれば、信長に仕えている時、ぞうり取りの役目の時は、一生懸命、ぞうり取りを。足軽の時は、一生懸命、足軽を。足軽大将の時は、一生懸命、足軽大将を。大名の時は、一生懸命、大名を。勤め上げた。

 織田家の筆頭家老・柴田勝家が、猿(秀吉のこと)をあんなに、出世させるのは、どうかと信長を諫めた。
 その時、信長は、猿ほど、与えられた使命を、懸命にやっているものは、いない。ぞうり取りのときは、ぞうり取りを。
 あんなに可愛い奴がいるか、とこの神経質で癇癪持ち(怒りっぽいこと)で、
人使い荒い、織田信長が、激賞した。

 天風は、ことある毎に、言っていた言葉だ。
 「人に好かれる人になりなさい。」

 人の世を渡っていくのは、これだけで十分であるともいっている。

 以上、天風小話でした。




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