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 中村天風と私 ②

 昨日、今日と趣味である陶芸の展示会があった。
 私を陶芸に誘ってくれた人が、亡くなって、2ヶ月経つ。その陶芸のお師匠様の作品も、故人を偲ぶ形で、我がサークルは展示した。
 この陶芸のお師匠様と会ったのは、私が働いている職場であった。陶芸の展示会に誘われて、1,2回、見に行ったが、まさか、不器用な私が、この人に、誘われて、自分も陶芸をやるとは、思っていなかった。
 この陶芸のお師匠様は、決して人の悪口を言わず、人を、良い面からみる人だった。この人の周りは、いつも春風が吹いているような心地よさがあった。

 私の生涯の師、中村天風は、このようなことをどう言っているのか?
 天風は、この世は、朝が来て、夜が来ることや、春、夏、秋、冬があることなど、大いなる力が支配しており、それを歴史上の人は、神とか仏とか言っていると述べている。
 そして、この世は、厳正に原因があり、結果があるという。これを因果応報という。
 良い種を撒けば、良い実がなり、悪い種を撒けば、悪い実がなるという。これは、この世での不文律だと天風はいう。
 私は中村天風を18歳の高校生の時から知っていた。だか、天風の教科書と言えるような入門書しか、読まずに、それ以上、深入りしなかった。現在のように、
中村天風の本をあらかた、読破して、同じ本を10回も、20回も、読み込んでいたら、その後、20年も悩み、苦しみは、しなかったはずだ。
 それほど、中村天風は、世界のなかでも、全く例を見ない、人物である。
 私は西洋史はあまり知らないが、キリスト、仏陀、マホメット、それに、比肩する存在であると思う。
 
 中村天風は、必ず、幸せになる
『方法』を説いている。
 その方法の根本は、自分の心を積極化することにあると説いている。積極化とは、かならず、起こった物事にたいして、いい面を見る、ブラスの面を考えるということだ。
 その例が、前述した陶芸のお師匠様の人の悪口を言わない、良い面から人を見るということを実践していたこと。
 どんなことだって、考え方次第なのだ。例えば、雨が降る。Aは雨は、憂鬱だと考える。Bは雨は、心、落ち着くと考える。この考え方の落差。これを中村天風が指摘する。
 物事には、良い面、悪い面が必ずあると。この起こることにたいして、良く見るのと悪く見ることが、積りつもっていけば、どのようなことになるか?
 それが、天風のいう因果応報という考えなのである。


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