莫大な経済力を信長に引き継いだ 織田信秀
織田信長の父、織田信秀は、尾張の
下四郡の守護代、織田大和守家に仕える
三奉行の一人であった。
信秀の織田弾正忠家を強くしたのは、信秀の父、織田信貞による、津島の支配である。
津島は、戦国時代は、伊勢湾間近にある港町だった。それに加えて、全国的に信仰されていた牛頭天王社があり、鎌倉時代から大勢の参詣者を集める門前町であった。
信秀はその津島の町の支配を引き継ぎ、その後、那古家城を手に入れたら、その南方に位置する、熱田の町の掌握に乗り出し、成功した。
信秀は、様々に戦を進めながら、伊勢神宮外宮仮殿の造替費、700貫文を寄進し、その後、禁裏修理費用として、
4000貫文を献上した。現在のお金にして、4億8000万円である!!!
それほど、莫大の経済力を背景に三河、美濃に兵を進めた。
晩年は、流行り病にかかり、臥せりがちになり、美濃進攻を諦め、斎藤道三の娘と信長を娶せた。
信秀が亡くなったのは、42歳。
老年とは、言えない歳だった。
信長は、その経済的な基盤を受け継ぎ、苦しんで、尾張を統一し、天下布武に駆け抜けていく。
いかに、何事かをするうえで、お金が大事かを考えさせられる。