電流の如き人 吉田松陰
松下村塾。
いわずと知れた、幕末の吉田松陰が叔父から
受け継いだ、寺小屋みたいなもの。
その塾から、幕末、明治にかけて、
走り抜けた、志士や政治家や総理大臣まで、輩出した。
とにかく、松陰先生は、人の良い所を
見つけて、褒めるのが、うまかったらしい。
吉田松陰自体が、電流を体に帯びた人で、ペリーが、浦賀に来た時、
弟子の金子重輔と、アメリカに渡ろうとした。だが、ペリーに追いかいされ、
幕府に捕まった経歴をもつ。
そのほとばしる行動力が、長州藩の
萩の一角の小さな塾から、高杉晋作、
桂小五郎、吉田稔麿、伊藤博文、山縣有朋らが出て、長州藩を動かし、やがて、薩摩藩と手を携え、徳川幕府という、
その当時は、天下そのものだったものを、ひっくり返してしまう。
奇しくも、長州藩、薩摩藩は、
江戸幕府ができた頃、徳川家康が、
毛利家、島津家を最もおそれ、また、
将来、敵は、西から来る予見していた。
260年後、その通りになった。
吉田松陰の電磁力は、長州が戦前まで、隠然たる力を持ち、特に陸軍において、その電磁力は続いた。
ただ、松陰先生は、過激だったが、
すごく、優しい人だったのだろう。
戦国時代の家訓などでも、人の短所を
見ずに、良いところをみて、適材適所にて、使わねばならない と書いてあるが、松陰先生は、優しいので、それが、自然に出来ていたのだろう。
吉田松陰の人生をみていると、
いかに、人にとって、教育というのが、
大事なのかが、分かる。