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 凡人 徳川家康

 日本史において、最も成功した人物は、徳川家康であると、思う人は多いと思う。
 家康は、天下人として、世を終えて
現在も皇族から一般人まで、その血を受け継いだ人が、多いからだ。
 なぜ、家康がこれだけの成功を収められたのか?
 家康には、生前から言われていたが、
「律儀」という一面があった。
 織田信長との清洲同盟を律儀に守り、
強大な敵、武田信玄との三方ヶ原の戦いで、勝ち目がない戦も自分のため、信長のため、戦った。
 また、家康は「己を知っていた」「分をわきまえていた」「無理をしなかった」という点も成功の要因である。
 人は成功を重ねると、自らを過大評価し、傲岸不遜になったり、誇大妄想を抱くようになる。
 その結果、信長は謀殺され、秀吉の天下は二代続かなかった。
 家康は増長せず、確実に歩を進めた。
また、家康は、「失敗を忘れないようにする」「何事も自責で考える」という
内省的な一面があった。
 これは、三方ヶ原の戦いの後、この敗戦を忘れないために、恐怖で引きつった自分の顔を絵に描かせ、それを生涯の戒めにした。これが今日まで伝わる
「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(別名「しかみ像」)である。
 失敗を自責で考えるのは、誰にとっても辛い。プライドがあるので、環境や他人に転嫁したがる。
 しかし、それでは同じ過ちを繰り返し、いつまで経っても人は成長しない。
 信長はその典型で、傘下国人や同盟相手に裏切られても、自責で考えることをせず、ついに明智光秀の謀叛で、命も天下も失った。
 
  家康はこの遺訓が有名である。
「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りを敵と思え。勝つことばかり知りて、負くるを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり」
(「ことを急いではいけない」「欲望を抑える」「短気を起こすな」「負けや失敗が人を成長させる」「自分を責めて他人を責めない」「行き過ぎは危険」)

 これが、徳川家康の全てだ。

 明治維新のころ、薩摩藩の大久保利通も、敵である徳川家の祖である、徳川家康を尊敬していたし、今回、新一万円札になった日本近代化の父 渋沢栄一も、徳川家康を尊敬していた。
 普通の人であった徳川家康が、天下を取った、心がけを少しでも、マネすれば、私たちの人生に彩りを与えてくれるのではないか?
 私は、そう思うのである。


索引  敗者烈伝 伊藤潤 著
    実業之日本社 2016年






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