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「写真は撮るというより視るということ」

タイトルにある言葉は、デザイナー葛西薫さんが図録『KASAI Kaoru 1968』の中で使っていた言葉です。

この言葉の力に端を発して、自分の中での写真というものがどんなものか、少し輪郭が浮き上がってきたので、今日はそれについて。

フィルムカメラならではの魅力

フィルムカメラを始めてから、およそ1年が経ちました。

大学1年のときにデジタルの一眼レフを使っていたのですが、なかなか続かなかず。昨年、友人の企画をキッカケにしてフィルムカメラをはじめました。

デジタルとは違う魅力が、フィルムカメラにはありました。

ひとつは時間を超えるということ、もうひとつは枚数に限りがあること。

デジタル一眼は何枚でも撮ることができるため、理想の1枚を追求することができます。また、レタッチを行うことで、1枚の見せ方はほぼ無限に広がります。

職人気質の人にとってはデジタル一眼が向いているかもしれません。

一方、フィルムカメラ。もちろん現像や焼き付けを自分で行えば限りない調整ができますが、基本的には構図と光の調整だけ。

目の前の世界をどのように切り取るのか、ただそこに重きが置かれます。それゆえ、タイトルにも使っている言葉が、とてもよく当てはまる感覚なのでした。

「写真は撮るというより視るということ」

どのように世界を視るのか。どう視ることで、より美しく見えるのか。その探求なのだと思います。

他のクリエイティブと比べたときに

イラストやグラフィック、彫刻など。世の中には色々な表現の手段がありますが、それらは「創造」という言葉の色が強い。

その中で写真は特殊な気がしています。すでにある世の中から美しいと思う瞬間を抜き出すこと、つまりは編集するという視点の方が色濃く現れ、創造という印象が薄い表現物。

セットをつくり込んで、究極の1枚を撮るという創造的な写真もあると思いますが、僕はすでにある美しさを改めて見つめ直すことができる写真を目指したいと、今は思います。


ある本の中で、原研哉さんは「グラフィックデザインとは動いている世界を平面に定着させること」という趣旨の発言をしていました。

写真も同じなのかもしれません。

動き続ける世界の中で、どうにも残していきたい瞬間を焼き付ける。その営みが今の僕にとっての写真です。


5月から日本縦断へと旅立ちます。きっと、誰かに伝えたい景色や瞬間がたくさん訪れることだと思います。

その瞬間を写真に収めて、見てもらえる機会がつくれたらなと密かに企んでいます。


最後に、僕も大事にしたいと思った写真との向き合い方を添えて、今日は終わります。

そこにいる誰かの大切な時間の一部を切り取らせてもらっている、と考えるようになった。(コムロミホさん|Cameraholics 旅するライカ特集より)


みなさんが、素敵な瞬間を見つけられますように。

それでは、明日も続きます。

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ヒグ
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