写真のワークショップに参加して
写真家の幡野広志さんのワークショップがあると知ったのは、1月の末。2月の募集が終わったタイミングで、そんな素敵な企画があるんだ、いいなあと思っていたら、3月も募集があるという。しかも受付開始日は仕事が休み。
これは背中を押されている?
いや待て待て、ほんとに行けるのか?
カメラもパソコンも買いなおさないとじゃない?
と逡巡しつつ、まあ、とにかく申し込みにはチャレンジしよう、取れない可能性のほうが高いし、と思っていた。
結果、申し込めた。
申し込めちゃった!
そういうわけで、カメラはおまかせ機能でしか撮ったことがない私が、写真のことを教わりに上京することになった。
夫は、
「そんなの地区センターでいいじゃん」
と言ってきて、
(正論うるせー、ばーかばーか)
と口悪く心の中で言い返した。
夫は、私がずっと幡野さんの出ていたいろいろ(ほぼ日とかcakes)を読んできたことなども知らないから、まあそういう反応も仕方ないとは思う。
そういう余計な一言はあったけど、行けばいいんじゃない?と言ってくれたので、子供のことは任せて心置きなく行くことができた。
ワークショップの細かいことは書かないけれど、技術的なことばかりじゃなくて、被写体とか、写真を撮るということへの距離感のお話を幡野さんは重視しているのだろうと感じた。
私は長く短歌をやってきたのだけど、結構通じるところがあるなと思って聞いていた。他の分野からの摂取も必要ということや、写真には関係性が出るというようなことも。何を目指すか、「上手い=いい」じゃないことも。
現像のことを習ったのは新鮮だった。
今までカメラで撮って終わりだったし、現像ってプロがやるものだと思っていたから。
幡野さんはものすごい速さで、ぱぱっとセレクトして現像していた。その工程を見させてもらったので、ああ、いいもの見たな、もしこの複雑そうに見える操作を覚えられなくてもいいか、満足した、と思ったり。
何を撮っているかの時点で、すでに幡野さんの写真だなと思うんだけど、色のトーンが変わっていくと、わあ!幡野さんぽい(当たり前)ってなって。
ワークショップ中はパソコンの操作に手こずり、相当スタッフの方々にお世話になってしまった。
お隣の方と
「これは家に帰ってから出来るかわからない・・(スタッフの)お兄さんがいないと出来ないかもしれない」
と言い合っていたのだけど、どうにかメモを見て思い出しながらやれました。楽しいです。
スタッフさんたちにも感謝です。
この東京行きを現像してみましたが、いわゆる「幡野さんの浅漬け」になれたかな。
いや、浅漬けのアレンジされたものかもしれない。外国の寿司みたいなやつ。
追記(2023.4.1)
後日幡野さんが現像してくださった写真が届きました。
↓
私は短歌を長くやってきたと書いたけれども、好きだから続けてきたけれど、なんだか閉塞した感じももっていて、少し短歌を離れて空気を取り込みたいと思っていた。
たぶん、何事にもタイミングってある。
ワークショップもそうだったんじゃないかな。
カメラを手にしてから、今までと違った気持ちで街を見ている。小さな変化とか、アンテナを張っている感じがしている。
この感覚は短歌を始めたころと似ているな。
そして、ちょっと違うかもしれないけれど、ワークショップに参加することで、好きな時に好きな場所に行っていいんだっていうことを思い出している。
幡野さんやスタッフさん、コーディネートしてくれた小池さん、ありがとうございます。
写真をこれからも楽しみます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?