何もしない日々|中毒について考える
昼間のうちはまだ良かった。
わりとウトウトしている事が多かったせいか、なんとなくやり過ごせていた。
問題は夜だ。
禁煙。
けっこう筋金入りにスモーカーなのだ。
入院前、荷物をまとめている時には、持っていかないつもりだった煙草を、家を出る段になって、やはりバッグに忍ばせた。
夜中、煙草が吸いたいな、と思う。
バッグに隠してある煙草を持って、こっそり外へ出られないだろうか。屋上?駐車場?外に出られるのかな?
当然、やってはいけない。問題行動。
大人としてアカンやつだ。
分かっている。分かっているのに、ずっとぐるぐる考えている。
何度目かの、後もう一押しをやり過ごして、ふと思った。
これを中毒というのだな…。
冷静に考えて、やらない方が良いと分かっているのに、それでも考えてしまう。
これに良く似た症状を知ってる。
恋だ。
駄目だってわかってるのに。
無駄だってわかってるのに。
それでも会いたくて夜の街に駆け出す的なやつだ。
そう考えると、やっぱり恋ってちょっと気が狂ってるんだな。
煙草程度なら踏み止まれる、後もう一押しを押してしまう。
そして積み重ねられる黒歴史よ…。
でも、その抗えない渇望が恋の醍醐味だったりする。そのヒリヒリとした感情に揺さぶられる事自体に、中毒してしまう。
幸せになれないパターンだ。
幸福な退屈に耐えられない。
せつなさ大好物。
でも、もう随分とそんなエッヂの効いた感情に襲われていないなぁと、しみじみしてみる。
今の私には、のっぺりとしたこの病院の空気が、合っているように思うのだ。
このままノンスモーカーに移行できるかしら?
誰かを忘れるには物理的に距離を置くのが1番良い。
会いたさに苦しんでも、やがて目の前の出来事で日々は埋まっていく。
ずっと悲しいまでいる事は出来ないと、経験的に知っている。つまらない事だと知っている。
自分を幸せに出来る気持ちの方を、選ぶのだ。
ちなみに煙草は退院して速攻吸った。