「多様性」と「人との向き合い方」を考えさせられた映画「ドライブマイカー」
ここ数年で涙が出た映画といえば、私の場合2022年に観に行った「ドライブ・マイ・カー」です。最期の「それでも生きていかなければならない」のセリフにいろいろなものがこみ上げてきて、気づいたら泣いていた、というものですが、なぜ私がこの映画でこれだけ心を揺さぶられたのか、正直まだ言語化できていない面はあります。
そんな「ドライブ・マイ・カー」をみてちょうど2年ほどだった今年、この映画のロケ地である広島に行く機会があったので、ロケ地巡りをして思いを馳せてみました。
感動したこと①景色が綺麗
この映画の舞台は広島なのですが、ワンシーンワンシーンの景色がとても綺麗で、切り取ってみても芸術的と思えるものばかりでした。
「広島ってこんなにアーティスティックだったけ?綺麗だったっけ?(失礼)」と思ったくらいです。
その中でも特に行きたかったのが「広島市環境局中工場」
ごみ処理場なんです。ごみ処理場なのに、綺麗だったんです。
ごみが処理される過程をガラス越しに写っている描写もあるのですが、綺麗であることが、より一層の矛盾感や虚しさを引き立たせる…そんなシーンでした。
ちょっと広島市内でも離れていたので、バスで15~20分くらい揺られて到着し、降り立ったのが以下の光景。本当に美しく、裏手には海の景色が広がっているのですが、しばらくのんびり散策して浸っていました。
周りは工場地帯が広がっているので、観光というにはあまり味気ないかもしれませんが、私としてはそんな中に佇むこの景色がなんともいえない感傷に浸れる余韻があって、エモかったです。
感動したこと②「言葉はわからなくとも感情が伝わる不思議な瞬間」を目の当たりにしたこと
この映画の特徴ともいえる「多言語劇」
どうやら原作の村上春樹さんの小説にはないもののようで、映画のオリジナル設定だそうです。
日本人以外に中国語や韓国語の手話、ドイツ、英語など(複数あったけど失念…)様々な母国語の人たちが各々の言語で演技をするというもの。
「いろんな言語でお芝居がされるなんて不思議だな…これでひとつのストーリーが成り立つなんて「多様性」の体現化っぽい」なんて呑気に思っていたんですが、全然何を話しているのか分からないのに、感情が伝わる・感動するというシーンがあったのです。
中国人の方と韓国語手話の方のお二人の芝居稽古のシーンなのですが。
どんな感情なのか、どういったシーンなのか、伝わるんです。本当に不思議。語彙力がなさすぎて言語化できない自分自身が悲しいところですが、そのシーンが行われた場所に実際に行くことができて、なんだか感動していました。しばらくそこで座って色々思いを馳せて改めて感動を思い出してたのが以下の場所です(平和記念公園の中にあります)
最近初めて知ったのですが、東京外国語大学の学園祭で「多言語劇」やっていらっしゃるそうで。いつか実際に「多言語劇」をみてみたいなと思います。
感動したこと③岡田将生さんと西島秀俊さんの車中シーン
映画の後半約10分ほど、家福(主人公:西島秀俊さん)と高槻(岡田将生さん)が車中で話すシーンがありますが、その演技と空気感にとてつもなく圧倒され、印象的だったのを覚えています。特に岡田将生さんの演技がすごかった(語彙力)
その中で最も印象的だったセリフ
「本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深く真っすぐ見つめるしかないんです」
↑のセリフをまっすぐと見つめて語る高槻(岡田将生さん)…見入ってしまったし、セリフとのマッチ度といいますか、説得力が半端ない感覚でした。そらすことのできない、いい意味でも嫌な意味でも刺さる。
人と向き合うということは、自分自身と向き合うということ(と私は解釈)を痛烈に突きつける重厚な言葉であると印象付けられました。
特に大事な人との関係性において、その人の心の中をみたい・知りたいと思ったとき、自分自身のことにも向き合っているだろうか?
自身が抱えている想い、欲望、認めたくない感情等々…これらから目をそらして、本当の意味で相手のことを知る・見つめることができるだろうか。