お金の使い方を考える
この話の土台は、経験していない若者へ、おやじなど年齢差のある人間の「経験談」を話すのですが若い子たちは経験していない事の理解は難しいというお話。
経験談で若い世代がしっかり理解と行動ができていたらこんな世の中になっていないと思う。
ましてや自分が若い頃は「時代が違う」「受けた教育が違う」など反論し、金銭的利害関係にある人の前ですら、理解したふりをしていたw
そう個人個人の人生はそれぞれ年齢的に段階があるけども、経験は小さな小さなその人の環境の中でしか出来ないもので、いくつになっても思想を形成していくものにはなるけれど、それが全てではない人生なのだ。
しかし若い頃にただ1つだけしっかり理解できていることがある。
それは一人悩み苦しみ辛い時、自分だけが暗闇の中にいる時・・・
だから私は昔から「マイノリティを大切にしたい」と言う理由がそこにある。
若い頃は「あれも欲しい」「これも欲しい」とがむしゃらに働き、何かしらのこじつけをしながら他人よりもいいもの、外車を乗り回し、高級品を身につけ、女性にモテたがる・・・・いいことですそれってw
そこでわかったのはお金を使っていると、いろんな人種が近づいてくる、幸運も悪運も引き連れてw
(そこから学べる人間観察ものちに人生で活きてくるよ、被害は最小にね)
むしろ失敗を怖がらないで欲しいものは(首を絞める借金はだめだが)、どんどん使える範囲でお金は使った方がいい。
(昔ほど今の若い子はお金はないかもしれないが)
若いときは大きな失敗ものちに取り返せる時間があるんですから。
いまこのnoteでは質素な暮らしを情報発信していますが、私自身昔は上に書いたように車もファッションも遊びにも人一倍お金を使ってました。
欲望でお金を遣っているうちに、「これは自分には似合わないかも」「これは人に馬鹿にされるのかも」「恥ずかしいかも」「これじゃモテない」という経験を積み、本当に自分に必要なものが年齢とともに見えてきます。
ある程度金銭的に余裕があれば、人生にはそういう時期が必要かもと思います。
だから年齢も50歳を過ぎれば自分に似合うもの、自分に必要なものをわかるようになる。
いくら若い子に「質素に」「欲しいものより必要なもの」と言っても理解できる人間は少ないがそれでいい、本人の実体験からわかることが人生の血肉になるのですから。
若いときの失敗はいい、歳いってから失敗をした方が挽回するのは難しい。
50も過ぎればスマートな生き方ができるようになる人も多い。
若い頃から遊びもせず人付き合いも苦手で、真面目だった人ほど定年後に生き方探しを始めるが遅いし迷っている人生のような気がする。
(生き方なので尊重するが、寂しさと孤独と背伸びを私は感じている)
若い頃に着た事のない服は着れないのである。
50過ぎてスカジャン着ている人は個性的で素敵な人が多い、ガラが悪いと感じる人は真面目で内面を見ていない、人を見る目を養っていない人。
そんな真面目人が「終活」を始めていろんなものを自分の価値判断で処分するが、子供達のために残さなければいけない思い出の品物も多いはず。
自分は終活し後半はスッキリして満足なんだろうけど、どこか毎日が死を待っているだけで、寂しそうで今を生きていないと思うんだ。。
命の最後は自分で調整はできない(自死も尊厳死にも反対だから)
そう考えれば、若い子も50過ぎも今を大切に出会う人に一期一会の心持ちで、好きなことをしながら今を生きることがいいんじゃないかって思うんだ。