The Who「Music Must Change」再考
「晩年のキース・ムーンがリズムの複雑さを消化しきれずに叩けなくて結果的に不参加になった曲」としてのエピソードでしかほぼほぼ語られない曲「Music Must Change」(1978年のアルバム「Who Are You」に収録)
最近でも話題に出てきたかと思えば「2002年に再びツアーでこの曲をライブで演奏しようとリハをした直後にベースのジョンが死んだからもう2度と歌いたくない不吉な曲なんだ」とロジャーに言われていました。
正に負のオーラしかない曲…笑
でも、そんなに簡単に切り捨てられない「良さ」がこの曲にはある…!
なんか、少しでも曲として語られてほしい!
とずっと思っていた。
フーの曲ってどの曲も構成やコードはめちゃくちゃシンプルで、それは70年代に入ってからも変わらなくて、なんだけど時々プログレッシブだなんて言われる(それはただ単純に的外れで愛が感じられない紹介文の時もある笑)くらいに複雑な印象も持たれてるイメージで、その理由はピートの作曲センスもさることながらやはりジョンのベース、そしてキースのドラムの要素が大きい気がするのだ。
そしてめちゃくちゃ不思議で面白いのは、ピートがジョンとキースの2人を全然意識していないかのような"変な"曲を書き続けていたという事だ。
ロック史に永遠に残るであろうベーシストとドラマーを擁しながらそこに飲み込まれる事なく独自のポップセンスを貫き通した印象と言うか、正確に言うと「まるで2人を意識していないかのように錯覚させるような曲」だったのだけれど。
ピートは曲の構成、アレンジ、ギタースタイル、そして歌詞にも「余白」を残したがる癖があるような気がするのだ。
語弊のある言い方をするなら「他人任せ」。
そしてバンドのサウンド面ではジョンとキース(とたまにロジャー)に対する信頼は相当のものだったと察する。
で、「Music Must Change」。
フーの歴史上の曲の中でも明らかに異質なジャジーな雰囲気の曲で、まぁ単純にかっこいいんだけど、中々凝ったアレンジにも目を引く。
その要因の一つが大量のサウンドスケープ。
冒頭のコインや足跡、ガラスの破裂音、鳥の羽ばたきなどなど…
「そこまでしないとキース不在の穴は埋まらないのだよ」というピートの声が聞こえてくるかの如くそこが堪らない。
ジャジーな雰囲気を醸し出しつつもよく聞くといつものピートのコード進行だったりして一安心(?)だったり、実は未完のプロジェクト「ライフハウス」用の曲だったり、キース死去直後のライブ、所謂ケニー期のライブでは10分近く曲を展開していたりとこれもまたカッコイイ。
そして一推しはピートによるデモバージョン。
Music Must Changeに蔓延る負のイメージを私たちと一緒に払拭していきませんか?