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少し(?)変わってる子だった

暑い夏が過ぎたと思えばもう年末の様相を呈している昨今ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
つい先日近所に住んでいる妹2人+子供二人がインフルに罹ってしまい体調管理にも気をつけないとなぁと思っているHigh-Geneです。

今年も残り少なくなってまいりましたが、なぜかこのタイミングでもう少し文章を書く機会を増やそうと思ったため複数回にわたってわたしの半生を書き記していきたいと思っています。
結構独特な経験が多いのでもしかしたら暇つぶし程度にはなるかもしれません。

順を追って書いていくつもりなので多分かなりの長編になると予想されます。
飽きたら途中でやめるかもですが。
ペースは大体週一で考えています。

本編に入る前に軽く自己紹介をしておきます。
生まれも育ちも西日本のアラサー限界独身男性
アニメなど好きでオタク傾向あり
コミュ力はあるがたまに暴走して引かれがち
親は父が職人で母は今は専業主婦(元医療職)
母は僕を産むタイミングで退職し、その後僕が中学に上がってパートを始めるまでは専業主婦でした。

物心がついた時

みなさんは幼少期の記憶っていつ頃からありますか?
わたしは確実に連続的な記憶としてあるのは4歳ごろから、断片的にでもあるのは2歳ぐらいからです。
人に言わせると早い方らしいのですが、断片的という条件があれば程度の差こそあれこんなもんじゃないの?と思っています。
これを話した人も5人に満たないので多分聞けば聞くほどにわたしのような例は多いのだと思っています。

わたしの最古の記憶

2歳ごろの記憶としてはごくごく普通の、家の中であやされていた記憶です。
両親がご飯を食べたりテレビを見ていた姿も朧げながら覚えています。
シャ乱Qのズルい女が流れていたのが妙に耳に残っています。
当時はもちろん知るはずもありませんが、成長後に偶然聞いた時に記憶にある曲だなと思った曲です。
皆さんの一番古い記憶にある音楽はなんでしょうか。

ようやく芽生え出した自我

最古の記憶以降は飛び飛びですが、4歳ごろになってようやく連続した記憶となってきます。
保育園に通っていたことがおそらく要因としては大きいのでしょう。
家族以外の人間と日常的に交流する機会です。
脳とかそういう意味でいろんな部分が刺激された毎日だったのでしょう。

わたしはこの頃の記憶を思い出すたびに、幼くして既に社会不適合者だったのではと考えることがよくあります。
いわゆるコミュ障で、自分から声をかけることができませんでした。
また親から保育園の先生に伝えてねと言われていた言葉も緊張?のようなものから泣きじゃくりながら伝えたこともあったり、とにかく人と話す、というか話しかけることが苦手でした。

便意に襲われトイレに行きたいという言葉も言えないまま漏らしてしまったことも記憶にあるだけで複数回あります。
ひとり遊びに夢中になって、気づけば誰もいない部屋に取り残されていたこともしょっちゅうでした。
恥ずかしがり屋でもありましたし、そのほかにもいまだに言語化できないのですがコミュニケーションに難のある子供でした。

よく話すようになった子供たちとも距離感がわからず下手なコミュニケーションを取り、浮いてもいました。
また変なこだわりを持っていたようで、気に入った石を誰にも共有せずこそっと隠しておきながら、次に見た時になくなっていたら絶叫の勢いで泣いていました。

先生たちは愚か、同年代からしても「やべえやつ」だったことは言うまでもないでしょう。
あとかなり印象が強いのが、自分でズボンの一部をハサミで切り、先生が心配しているのをいいことに「痛い、痛い」と仮病?のような申告をしていたこともあったなぁと。
ちなみに先生は本気で心配して「なんで痛いの?どう痛いの?」と聞いてくれるのですが、僕の回答は「虎が噛むより」を繰り返すばかりだったのも基地外ポイントですね。
今思い返しても謎の問答でした。

後わたしは一般的に男児が好むものを特に好んでいませんでした。
ウルトラマンや戦隊モノに全く興味を示しませんでしたし、車など乗り物系で喜ぶこともなかったです。
こう文章にしてみるとじゃあ何やってたんだ?となるのですが、大半の記憶がアニポケなのでポケモンは好きだったんですね。
と言うか好きでした。
かといって今のようにアニメ大好きマンではなく、単にコンテンツとしてのポケモンが好きだったといったところです。

文字を読むのも好きでした。
字が読めるようになったのは比較的早かった方だと思います。
読めもしない時期からティッシュの外箱の文字、全く理解ができない漫画、家電に印字されている文字などひたすら読んで(見て?)いたそうです。
実際今でもティッシュの外箱とか読んでいると幼少期の記憶が蘇ってくるので本当に文字というものが好きだったんでしょうね。
今でも好きです。
小説とか読むのも好きですが、文字そのものにも関心を持っています。
ちなみに5歳ぐらいで簡単な漢字ぐらいなら読めるようになっていたので、絵本はもちろん、挿絵がちょくちょく入ってくる程度の昔話集など読んでました。

社不適予備軍、小学生になる(低学年)

どれだけおかしい人間でも平等に時は流れるもので。
気がつけば小学生になっていました。
いっちょまえに緊張していたことを覚えています。
保育園で見た顔ももちろんありますが、2/3程度は知らない人たちでした。
他の幼稚園・保育園出身、またはどこにも通っていなかった人々ですね。
知らない顔ぶれであることもそうですが、その人数の多さで緊張していたのかもしれません。

初めての会話は今でも覚えています。
筆箱の作りについての会話でした。
今の小学生も似たようなものを使うんでしょうか、下記画像のようなタイプの筆箱ですね。

女の子ものですが、男子向けにも同じ作りのものがありましたよね。

(端っこの区切られた部分を見ながら)「ここ消しゴム入れるところやろー?」と話しかけてきた男子がいました。
とある事情と距離的な問題で今では一年に一度連絡を取るか取らないかの関係になってしまいましたが、大学卒業後すぐぐらいまでは一緒に遊ぶ程度には親しい間柄となった友人です。
口に出したことはありませんでしたが、親友だったと思っています。
これもちょっとしたこだわりで、簡単に親友なんて言葉を使いたくはないんですよね。
女子が多用していたのを見て気持ち悪かったというのも一つの要因です。
でも彼は間違いなく悪友であり親友でした。
おそらく今後もちょくちょく出てくるのでTと呼ぶことにします。
念の為言っておくと彼は寺生まれではありません。

話しかけられたわたしは少しドギマギしながらも返事をしました。
初めてのコミュニケーションは特に問題なかったと言えるでしょう。
わたしの悪い癖なんですが、一度話した人にくっついていくところがあります。
人見知りでコミュ障のわたしは、その人から離れるともはやどの輪にも入れなくなってしまうのです。
流石に今ではそんなことはありませんが、小学生の間は完全にそのマインドでしたし、高校生ぐらいまでも結構そういうところがありました。

この頃に戻れるならせめてまともな人間ムーブをするだけでもやり直したい。
今後も胸を張って生きていくには業が深すぎるので。

奇声を頻繁に発していたのもKP(基地外ポイント)です。
流石に授業中に大声を上げることはなかったのですが、休み時間や体育の授業中に「ピュキュイ!」みたいな小さい奇声を発していました。
今では社会人に擬態しているので人前で発することはまずありませんが、その衝動は常に僕を駆り立てています。

4年前とかやばかったですね。
別に何かされたわけでもないのに前を歩いているおじさんを蹴り倒した後に死ぬまで殴り続けながら絶叫したいという思いに駆られました。
電車の乗り換えのタイミングだったので30分ほどトイレで気持ちを落ち着けたのでことなきを得ましたが。
マジで社会に出ちゃいけない部類の人間だと思います。

多分低学年のくだりはまだ書きますが、気がつけば3000文字を超えていたので一旦この辺りで。
どこの誰とも知らぬ他人の人生をここまで読んでくださりありがとうございます。
なるべく定期的な更新を心がけていきますのでよかったら思い出した時にでも覗いてやってくださいませ。

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