不機嫌な時は障子のホコリが目につきやすい(仮説)
私はトウモロコシが好きだ。
実は一か月以上前から美味しいトウモロコシを訪ねて三千里。
いや、ただしくはネットの海をさまよったり、道の駅で出会ったおじさんにトウモロコシの直接取引を交渉したりしているがいずれも不調。
「買いに行けばいいじゃない。なんなら、米とか小麦とか穀物で構成されたものを食せばいいじゃない。」
そんな声が聞こえてきそうではあるが、病後も続く生来の鉄砲玉のような行動力が、4月から3か月以上続くリモートワークの結果BB弾ぐらいになっている昨今、買いに行くのも一仕事。オマケに骨折り損・・・ではなく本当に左肘を骨折し手術一歩手前なので気持ちは安静にしておきたい。
また、代案として考えられる炭水化物の摂取については遺伝性のDM持ちである私、普段から糖質控えめな生活しているので穀類で代用することもしない。(できるけど再発の観点からやらない)
※一つお断りしておくが、脳梗塞発症以前の私は白米ラヴ、麺類はなんでもいただきます、炭水化物オン炭水化物上等、という人間であったのだが、病は人の嗜好さえもコントロールするという好例である。
満を持して今日という日を迎え、ようやく重い腰をあげてトウモロコシを買いに行こうとした私の決意はものの5秒でへし折られる。
私「買い物いきたいんだけど(訳:骨折れてて左腕つかえないし危ないから、家にいるなら運転しろや)」
家「え、酒のんでしもた」
・・・。酒・・・?さけ・・・というと般若湯といわれるアレ??
昨日、ギプスに締め付けられた左腕が疼いて鬼の手に・・・はなってないけど、救急で現在のかかりつけ病院にて「柔らかい物しか普段切らないんだよなあ」と宣う救急外科担当医(専門は消化器外科)によるギプス切断により、私の骨折部分が不安定な状態になっているにも関わらず、である。
うん、期待した私がバカでした。
今までいっつも1人でやってきたじゃない。どこまで1人で頑張ったらいいのか、ほんと最近まったくわからんけど。
頭の中を無にし、マイバスケットの中で待機していた猫の手は丁重にお断りし、空気を読んだムスメと一緒に買ってきて下ごしらえをしたトウモロコシ。超うめえ!!(トウモロコシの皮を片手でむくのはかなり難儀)
夕食時、私が明日の楽しみに、ととっておいたトウモロコシを見て一言。
家「トウモロコシ食べてイイ?」
いやいやいやいや・・・ナイワー。
断ったらどうせ拗ねられるし、どうぞ、と短く告げて自分の部屋に引きこもる。演奏会の実行委員長だった時のお弁当(約30年前)、ムスコを生んだときの昼ご飯(20年前)、ムスメを生んだときの朝ご飯(17年前)をはじめ食べ物に対するヤツの執着と貪欲さはものすごい。いずれの機会も、ことごとくアイツに食べられているのだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。
よって今、私はもんのすごく不機嫌なのである。
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機嫌が悪いとき、センサーが敏感になるせいか不穏なつぶやきや物言いがいつも以上に目につくようになる。
障害を負った人、私を例に挙げるとBADによる左半身不全麻痺(麻痺のレベルは中等度?)という後遺症が残り、手元に障害者手帳を持つ身になったわけだが、障害を負ってしまったら自分自身が「こういう風になりたいんだよね」「こんなことしたいんだよね」っていう望みも持ってはいけないのだろうか?障害を負うことで世間様に生かしていただいている、多くのことは望まないというような「吾唯足知」(大雲山龍安寺の蹲踞にある言葉)を禅僧のように体現していけばいいのだろうか?
左半身が完全麻痺した当初、私は移動手段は車椅子でもいいから「とにかく手を動かしたい」という希望を持っていた。できるところまで色んなチャレンジをして、当初目標に掲げた楽器演奏(単独ではなくオーケストラの中で)は自分の心の中で決着がついた。いつか吹ければいいな、と夢見たりもするが、今では最も熱望する目標ではなくなっている。
不自由な体でもここまではできる(やる)、ここからは代替手段を使う、回復にかける時間や費用はどのくらいいけるか、というような落としどころを見つけられるのは、自分自身しかいない、と私は思っている。いわゆる「納得」である。
「障害受容」という言葉は片麻痺当事者になってからよく聞く言葉だが、自分ができていたという経験を過去に持つ当事者にとって、病前のように動かない自分自身を受け入れるというのはなかなかに難しい。むしろ私は人間ができていないので「病前のように動けるようになりたい、なればいいな」という考えを一度も持ったことがない方がいらしたら爪の垢を煎じて飲ませていただきたいので紹介してほしい(笑)
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私はかつて他人に教える、という仕事をしていたことがあるので先生と呼ばれたこともあった。ただそこに存在したのは「自分ができることを相手に伝える」という至極やりやすい内容であった。
医師や療法士という職業の方は大変である。
自分がその状況に陥ったこともないのに、知識と想像(予測という方が適切か?)を駆使して迷える子羊(初めての経験に動揺する当事者)を導いていかねばならないのだから。その点は非常にリスペクトする存在であるし、マイルストーンとして節目ごとに灯りをともし、導いてくださるのは当事者としてありがたいことである。
ただ、専門的知識があるからといってチャレンジしたいという気持ちを持っている当事者を「病識がない」と貶めたり「患者教育ができていない」と批判するのが正か、というとそうではないと私は思っている。
社会人経験なら私、今年で27年目。
自分の専門領域の知識なら一般の人と比較すると圧倒的なリードを保っていると自負している。片麻痺当事者としてもうすぐ3年、ご自身で経験されたことがない医療者には全てわかりえない自分自身の体の機微についても理解と共存をし始めている。
医療者が一生私に付き添って人生の面倒をみてくださるのなら、飴と鞭をうまく使い分け、貶められ批判されることも時には必要かともおもうのだが、私の人生の一部にしか寄り添えない人にそんな風にいわれたくはないなあ、と思ったりする偏屈者だわ、私(笑)
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結論:私は偏屈者、というまさかの結末ですが(笑)、私なら。
私であれば、全人的復権を目指して。
「共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い 共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い 共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い」
「そんな日々を描きながら」
※コブクロ「永遠にともに」より
私と協働してくださる医療者さんに出会いたいな、と心の底から思うのです。