Q:セラピストから褒められたとき こんな事で褒められる状態なのかって落ち込まれたことはありますか?
おはようございます、蒼@脳梗塞です。Twitterのリプライで質問をいただきましたが、140字以内にまとめる自信がなかったので(笑)、noteに書くことにしました。
ベースになったツイートはコレ。
ワタクシ、基本褒められて伸びるタイプだったのですが、発症以降怒りとかネガティブなこともパワーにできるように進化しました。超ライチュウみを感じる。
【その前に蒼のこと】
私は軽度と思われた発症時の症状からどんどん動かなく(力が入らなく)なってしまい、発症日から起算して3日後に完全に動かなく(弛緩性麻痺)なりました。3週間急性期→3ヶ月と10日で回復期を無理やり退院(ここにいても治らないと思ったので)→自宅退院(限度いっぱいまで急性期で外来リハ+訪看リハ)→介護保険での訪看・訪問リハ→1年1ヶ月後に復職、復職から9ヶ月後に転職し、今に至る、という流れです。
さて本題。
急性期の頃は「25年前に脳梗塞を罹患した父が完全復活しているのを見ていたので、医療技術もリハビリも進化してるだろうし、完全に元に戻る、と信じて疑わなかった」という超ポジティブシンキングだったので、ちょっとしたこと、例えば完全弛緩した翌日に麻痺手の親指が動いた、とか、一人で服を着替えられた、とか、車いすで自在に移動してる、とか細かいことでも「できること」が嬉しかったですねえ。
急性期において、焦りはあったものの特にネガティブになることはなかったので(割と珍しいと思います)、自分が「今のうまくいった」と思った時に療法士さんから「今のイイネ」って褒めて貰えるのは、そやろー???って感じで嬉しかったのを覚えています。
回復期に移り、しばらく経った頃(なんせ転院初日に麻痺手が100%治るのは難しい、なんて言われていますしw)にはもう「やさぐれ蒼」ができあがっていましたので(笑)、超ネガティブ期。
褒められて(あんまり良い表現とは思いませんが)落ち込んだことはありませんが、自分が感じる体の感覚と比べて的外れな「ヨカッタよ」は、わかってないなあ…とより一層信頼できない感じが高まる要素にはなっていました。今思うと、既に療法士さんに対して信頼があまりない状態だったんだと思います(苦笑)
私のベースにある考えは「全然動かなかったときより今の自分進歩してるやん」です。そのため(過去の自分と比較するため)に今日のやってみた、というハッシュタグを作ったという経緯もありまして。
・一番悪かったときの自分自身と比較できる。
・病気になってからのよかった探しを自分の中でできる。 等
こういう考えをお持ちの方は、療法士さんの「歩けるようになってよかったね」なんていう病前の自分からすると当たり前のことができるようになっただけのことを褒められても落ち込みはしないのかなあ、と思ったりします。
逆に、以下のようなタイプの方は褒め方に注意が必要かな、とも思います。
・病前の自分と今の自分を比較している。
・病気になって悲しいことや不便なことばかりを考える。 等
褒めるというよりも、コーチングでいう「承認」というスキルのほうが療法士さんにとっては適切なのかな?
タイトル画像は保育士さん的な方が小さい子を褒めている、というある意味皮肉ったものなのですが(笑)、入院中はそこそこ人生経験を重ねた患者が小さい子に対するような接し方をされている場面を結構みかけました。それって全く嬉しくないよね。自分にとっては子どもみたいな年齢の子から、「蒼ちゃん、○○できるようになったの?えらいでちゅねー」なんていわれたら確実に腹パンチ入れてますよ!
認知機能や言語能力・記憶する力が落ちていたとしても、幼児語や~ちゃん呼びで理解しやすかったり、すっと頭に入るようになったりするのでしょうか?違うでしょ。病気になって脳に損傷は受けたけど、患者さんはそれぞれの人生を歩んでこられた方です。発症が原因で生まれたときあたりの振り出し位置に戻るのでしょうか??違いますよねえ。
ちょっと脱線しました。
療法士さんだからこそできる言い方、具体的に数字を出したり、1ヶ月前の動画と見比べてもらってよくなった点を患者さんが確認しやすいような言い方が必要なのでしょうね。というか、私も仕事で部下に「なんとなく今月調子よさそうじゃん?」じゃなく、「前月の売り上げよりも今月の売り上げは何%あがってるね、A社の●案件がとれたのが大きかったねえ」っていうしね!部下の性格によっては言い方も変えるし!!
医療の世界は特別だと思われている方もいらっしゃいますが、どんなギョーカイでも「話す相手がどういうタイプなのか見抜く」というスキルが必要なのは変わらないと私は思うのです。
まあ、そんなことは普段の友達づきあいでも自然に磨かれるので、何もスペシャルなことはありませんけどねw