経験する、ということ。
私には姉がひとりいる。
身内が言うのもなんだが、滅茶苦茶頭の良い姉である。
この姉が苦手なこととは「人に教えること」。
姉曰く、「そんな所でつまづいたことがないからなぜ分からないのかが分からない」そうである。
話は変わって、今は昔。
やんごとなき御方が適応障害になられた、というニュースが流れた時、私は傲慢にも「大変なことがわかっていたのになぜそんな病気になられたのか?」と思っていた。
ところが、である。
我が娘が生まれて、片耳が聞こえないと宣告された時、そして藁をも掴む思いで色んな場所へ相談に、検査にと駆け回った。(もちろん今と同じくワンオペである)
聞こえないのは片方だけで、もう片方の耳を大事にしていきましょう、と太鼓判を押してもらって直後から私を異変が襲う。
バーンアウト。いわゆる燃え尽き症候群である。
当時自営で仕事をしており、息子は幼稚園に入ったところ。それに加えて出生体重がデカいとはいえ生まれたての娘を連れて色んなところを駆け回る日々。
知らず知らずのうちに精神は蝕まれていたのだろう。昔から苦手だった閉所がよりいっそう苦手になり、パニック障害になってしまったのだ。
明るく元気で、パワフルな私は精神的症状とは無縁だ、そういう症状は自分の心の弱さから生まれるものだ、という根拠の無い自信はガラガラと音を立てて崩れ去った。
その時、やんごとなき御方がどれほどに苦しまれていたのか、自身も当事者になってようやくお気持ちがわかった。なんという体たらく。
今、私は脳梗塞の後遺症とともすれば流されそうになる自分の気持ちとの戦いの中に身を置いている。
そこでも私が人の気持ちをわかっていなかったエピソードがある。
私の父は脳梗塞の再発でなくなっているのだが、初発の時麻痺から完全復活したのだ。
当時はそれが普通のことと思っていたのだが、今自分が同じ状況になってみて、完全復活の裏側にはどれほどの見えない努力があったのか、と思うと「密着24時、脳梗塞の後遺症から復活した日」なんていうドキュメンタリーを撮りたいぐらいである。
うちの父は子どもに常に勝ってなきゃ気が済まない人であったが、死後も私に勝とうとするとは…。
完全復活できていない私をみて、あの世でニヤニヤしていること請け合いである。
今日Twitterで投げかけさせていただいた質問に答えてくださった医療関係者の皆さんを私は本当にリスペクトしている。
自分が麻痺したこともないのに、ほとんど自分より年上が多いという状況で手足の動かし方を教えなければならないのだから。さすが、うちの姉とは違う!
素敵な医療関係者の皆さん、これからもお世話になります!