絶望の中に差した一筋の光。
こんばんは、蒼です。
今日は2017/12に退院してから2018/8で介護保険を卒業した間の話をしてみたいと思います。
長く私をフォローしてくださっているかたならご存じかもしれませんが、BADによって左半身の全機能を失った私に最初の光を与えてくれたのは病院(急性期)の理学・作業療法士さん、言語聴覚士さんでした。ただ、残念ながら、健側(右・利き手)一本で生きてこう、と私に決意させたのも病院(回復期)の作業療法士さんでした。そして今、前向きに生きているのは自宅に戻ってからお世話になった介護保険領域の作業(理学)療法士さんだ、と言っても過言ではありません。今回はその中でも訪問看護でお世話になった作業療法士さんのことを綴りたいと思います。
回復期入院中、色々としんどい思いをしてすっかり意気消沈した私は、入院可能期間のうち、かなりの期間を残して家に戻ることにしました。(急性期3week、回復期3month)
家に戻ることを決意させた一番の理由は「肩の痛み」。
急性期から亜脱臼を指摘(急性期は三角巾で保護しつつ歩行訓練や生活をしていました)されていて、回復期に行ったとたん、何の保護もなく急性期より条件的に厳しいリハを行ったわけですから亜脱臼が悪化するのも当然。今思えば、悪化のきっかけになったのはサンディング50回(担当療法士さんの連続運動は当時10~20回、同じ療法士さんで私はどこに力をいれて指示された運動をしたらいいのかわからず、過呼吸になったこともありました。)、という代理の作業療法士さんによる1時間でした。
そこからずーっと肩の痛みには悩まされ、未だに肩はウィークポイントです。まあ、そんなこんなで病院というものが信用できず、知り合いのツテを頼ってケアマネさん(※)を紹介してもらったのが11月。福祉用具(浴室の手すり、椅子)の手配を外泊のたびに進めて行きました。
※信頼できない病院から紹介してもらう人さえ、信用ならないと思っていました。
退院後は病院でリハビリできる期間が残っていましたので入院中に外出、急性期病院のドクターに直訴。退院後は急性病院で外来リハ(※)を受けられることが決まっていました。(PT、OT、各2時間、合計4時間)ケアマネさんにもっとリハビリを受ける方法はないのか、と尋ねたところ、医療保険を使った外来リハと介護保険を使った訪問リハは併用できない。ただし、私の場合は退院後の生活習慣の管理もあるから、医療保険と併用できる訪問看護で生活指導兼リハビリを受けてはどうか、というご提案をいただきまして。
※その急性期病院では中枢系の外来リハを受け入れたことがなく、私の状況を聞いての特例だったと思います。
たまたま訪問看護のOTさんに空きがあって(というか育休あけ直後だった)、週に2時間きてもらうことになったのが始まりです。
後から聞いた話ですが、ケアマネさんは「医療に不信感を持っている、とても難しい患者さんかもしれません」と事業所の管理者さんに打診してくださっていたようです(笑)。そりゃ、「手を治したい」という希望をもっていた私が、肩に関しては転院時よりも悪い状態で回復期から帰って来ざるを得なかったわけですから、療法士さん、特に作業療法士さんという存在に不信感しかなかったんですよね、当時。
訪問看護で私を担当してくださった作業療法士さん(オレンジ色のスクラブが印象的だったので、以降ヤムチャと称します)は、ちっちゃいのに元気満点。いつもチャリンコでにこやかに現れる、頭が良くて勘の鋭い素敵な女性でした。いや、当初は素敵かどうかもわからなかったかもしれない。
以下、当時の私の心境です。
右手だけでだいたいできるもういいやん?痛いし。
あんたもあの人らみたいに的外れなんやろ?
ちょっとは専門用語もわかるようになってるし、そう簡単にはいかへんで?
それより、毎日一時間、週に四回急性期病院に通うのが大変。
でも、ヤムチャは違いました。
急性期からの経過をきくために外来に同行してくださったり、訪問のOTさんと密に連携してくださったり。その上自分が学んだ手技(たぶんボバース)を私に押しつけることもなく。
退院時にCI療法を入院で受けることは私の場合既定路線だったんですが、当時はCIの知識が何もなかった状態から私とともに学んで下さり、その時のベストの状態で2週間の集中治療に臨めるようにコンディションを整えて下さり。
私が「やりたい」「こんな治療法があるんだけどどう思う?」「●●まで出かけようと思うんだけど」どんな相談をしても、的確にメリットとデメリットを伝えて下さったり、鉄砲玉のような私の性格を当初からよくわかってくださっていたので好きなようにさせてくださったり。
CIを受けて、楽器が吹けるようになった動画を見せたときは一緒に泣きましたね。後にも先にも彼女も私も涙したのはその一回だけ。人間不信によって気むずかしくなってしまった患者であるがゆえに相当苦労をかけてしまったなあ、と申し訳ない気持ちでいっぱいです。
何よりも感謝したいのは「介護保険からの卒業時期が決まっている私に、セルフコンディショニングする知識をつけてくださったこと、療法士さんに依存しないとやっていけないような形にはせず自立を促して下さったこと」でしょうか。
当時、私は47歳。高校・大学受験の子二人を抱えていたため、復職は絶対条件だった私にとって、この先ずっと介護保険でリハビリを受け続けるのは非現実的でした。だからこそ、車を遠くまで運転できるように少しずつ積み上げていったり。一つでも「初めて」を経験することが減るように、色んな体験を一緒にしてくださったり。
今の私があるのは、彼女のおかげ、といっても過言ではありません。
今ですか?
子ども達の進路がきまった、という報告をして以降、一切連絡はとっていません。だって、今わたしは彼女の担当利用者じゃないから。
公私をきっちりわけて過ごすことができているのも、元からの私の考え方はありますが、彼女のおかげかもしれません。