大原美術館で近代への扉をひらく
倉敷の美観地区は、貨物の集積地として栄えた古の佇まいが美観地区として保存され、ノスタルジーを楽しめる場所。岡山県でも有数の観光地です。
その中心部にある大原美術館でこの夏開催されている「異文化は共鳴するのか?大原コレクションでひらく近代への扉」に行ってきました。
高校時代のおもいで
美観地区といえば、私が初めて行ったのは高校3年生の遠足でした。風情のある街並みを友情(や愛情)を暖めながらそぞろ歩きをするというのが遠足のコンセプトだったのだろうと思いますが、私は1人で大原美術館に入りこみ、お弁当も食べずに一日過ごして、集合時間間際に飛び出てきたことが思い出されます。おかげで誰とも話さず、写ルンですにも写らず、その後の話も噛み合わず…
しかし、エル・グレコ「受胎告知」やら、ゴーギャン「かぐわしき大地」やら、美術の教科書で見た絵が、こんなところに飾ってあって良いのか?本当にホンモノか?とか思うと出てこられんよねえ…
その時に展示室の椅子に座って30分くらい眺めたのは、児島虎次郎でした。その時は一枚だけ展示されていて、しかしキャプションでは大原美術館にとっては大切な画家であるというようなことが書かれていました。どの作品だったかは覚えていませんが、構図がやたら気になって絵の中にあるいろいろな三角形を見ていたような気がします。
で、どういうわけかその後足が遠のき、美観地区に行く機会はあれど美術館には足を踏み入れず今に至ります。
しかし、この時の児島虎次郎や、大学時代にみた藤田嗣治や鴨居玲は、私の一部になっている感覚があります。
今回の展覧会
行ってみてどうだったか。たくさんは語れませんので、エッセンスだけ。
本展は大原美術館のコレクション展ですが、所蔵作品を鑑賞するだけでなく、それを通して大原美術館自体を鑑賞するという体験をさせていただきました。
最近は作品とともにキュレーションを楽しむのが好きですが、大変意図がはっきりした知的好奇心を掻き立てられる企画展でした。
まずは(懐かしの)児島虎次郎の生涯と作品を追い、自分の生まれ育った文化を大切にしながら西洋絵画に触れて自分の世界を広げ、その審美眼をもとにした作品の収集が大原美術館へとつながり、当時の西洋美術の一大拠点となったことが語られます。
次いで白樺派と民芸運動との関わりが示された後、そこに大原美術館がどのような役割を果たしたかが語られます。
しかし民芸運動について言えば、GWにたまたま入った静岡県の芹沢銈介美術館の素晴らしさに開眼させられ、私にとっては今年は民芸元年です。興奮冷めやらず夏休みにシアスター・ゲイツ展と日本民藝館の韓国民芸展に行く機会を狙っていたのですがこれは果たせず…
さも当然のように「白樺派と民芸運動との関わり」と偉そうに書きましたが、全くのビギナーですので、今から見聞を広めていきたいところです。
しかし、こうやって年表の暗記ではない、質感を持ったものとして歴史を感じられるようになることは、本当に楽しいものです。何か、地に足がつくような、人間のひとりとして輪の中に受け入れてもらえるような充実感があります。←宇宙人の発言みたいだな
企画展サブタイトルに込められているであろう「大原コレクションで日本の近代美術の扉がひらかれた」ということと「大原コレクションで君も近代美術への扉をひらこう」というメッセージは、私なりにしっかりと受け止めさせていただきました。
余談
歴史といえば、これは本展の意図するものではないでしょうが、この辺りの作品を時代の流れを気にしながら集中的にみたおかげで、デュシャンの「泉」(1917)をみた人の「は??」という感じもなんとなく分かってきました。これではない有名な作品が展示されていましたが、近代への扉をひらいて感激している目でいきなり見ると「こいつ何してくれとんのや💢」という刺激。
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